夜間中学ってどんな場所? 「どうしても学びたい!」をかなえる札幌遠友塾自主夜間中学を訪ねました

先輩に聞く

2019/05/05

「どうしても学びたい!」

家庭の事情や病気、戦争などで小中学校に通えなかった、外国から働きに来た、無戸籍の子ども……。自主夜間中学は、さまざまな事情で基礎教育を受けられなかった人たちを受け入れる学びの場です。みんな同じ教室で机を並べて、真剣に学んでいます。

2017年に教育機会確保法が制定され、各都道府県に公立の夜間中学を設置する動きもようやく本格化しています。1990年に開講した札幌遠友塾自主夜間中学を訪ねました。

毎週水曜夜、2時間の授業が行われる「中学」

札幌遠友塾自主夜間中学は、新渡戸稲造が開いた「遠友夜学校」から名づけられたそう。「遠友夜学校」は1894〜1944年まで家庭の事情などで学校に行けなかった青少年たちに、男女の別なく開かれていた

水曜日の夕方、札幌市立向陵中学校のグラウンドはまだ部活動の真っ最中。そんな頃、「遠友塾」の看板が掲げられた玄関に、年齢がまちまちの人たちが集まってきます。

取材の日は、卒業式を来週に控えた、2018年度最後の授業が行われていました。登校後、まずは受講生とスタッフ全員が多目的室に集まり、「はじめの会」を行います。

まずは、リラックスするために歌を1曲。この日の歌は、卒業シーズンらしく「いい日旅立ち」

その後の連絡事項は、卒業証書授受の代表決めなど、全日制の中学校と変わりません。受講生には障害がある方もおり、手話が得意なスタッフによる手話通訳も行われています。

終了後、各教室に移動して、授業開始です。

国語の授業の最初には、全員で詩を朗読する

1~3年生の一斉授業のクラスでは、国語、数学、英語、社会の4科目を手づくりプリントなどの教材を使用。スタッフは教壇に立つだけではなく、それぞれの受講生をサポートしています。

ひらがなが書けないなど一斉授業での学習が難しい方向けの「じっくりクラス」では、1人の受講生に対して2~3人のスタッフがつき、国語を中心にゆっくり学びます。

現在、スタッフは合計75名。毎週の授業後にはクラスミーティング、教科のプリント検討会議、月1回は全体会議を開き、授業のあり方や内容の妥当性などを討論します。問題点を徹底的に洗い出し、改善するのが目的です。毎年同じことをやっていても、違うところでつまずくのだそうで、細心の気配りをしています。

例えば、座席の位置やサポートするスタッフが受講生の左右どちらにつくか。以前、急に理解度が落ちた受講生がいました。実は、その方は脳梗塞手術後、手術した側が不自由になっていたのです。サポートのスタッフの座る位置で学習の理解度が全く違っているのに気づきました。これも、多くのスタッフの目があり、話し合いを重ねるからこそ見えたことです。

廊下には遠友塾の掲示板が。日中、中学生たちの目にも留まる

スタッフ75名のうち、教員経験者が20名、学生が5名、遠友塾の卒業生が5名、あとの45名は主婦やいろいろな仕事をしてきた人たちです。

学生のうち3名は向陵中学校在学中に遠友塾の様子を見ていて、卒業後にスタッフをやりたいと来てくれた高校生、大学生たち。遠友塾の卒業生スタッフは、自身も学ぶ苦労をしてきたから、受講生が何に困っているかをよく察してくれるそう。

他のスタッフもいろいろな経験を積んできた人が多く、専門分野や特技を持っていたりする上、年齢もさまざまなので、受講生たちと馴染みやすいのだそうです。

1日の授業を終え、下校する受講生の皆さん。一緒に学ぶ仲間同士、仲の良い様子がほほ笑ましい

休み時間をはさんで、50分授業が2コマ。教室を掃除して1日は終わります。

時代の波の中できなかった勉強を「学びたい」ただそれ一心で

そもそも、夜間中学はどうしてできたのでしょうか? 同塾スタッフであり、北海道に夜間中学をつくる会代表の工藤慶一さんにお話を聞きました。

中学の頃、樺太からの帰国者だった友人に兄の形見だという分厚い高校数学の参考書を渡され、「これ使って世の中良くしてくれ」と言われた工藤さん。その言葉の重みが、のちに自主夜間中学を運営する原動力となった

――そもそも「夜間中学」は、いつからあるのですか?

戦後すぐの1947年、戦争で学校に行けなかった子どものために公立夜間中学は開校しました。まずは大阪、続いて東京や横浜、神戸などに広がっていきました。

夜間中学へ通う人たちはさまざまです。戦争のために学校に行けなかった子どもをはじめ、在日外国人の方、被差別部落出身の方、中国残留孤児で帰国した方、外国から働きにきた方……こうした方たちは、京阪神地区に多かった。

そして、病気や貧乏、山奥で家業を手伝わなければならず学校へ行けなかった方、戦後の混乱の中で学ぶ機会を失った方たちは、特に北海道や沖縄、東北や九州などに多いのです。

例えば、地上戦が行われた沖縄では数多くの孤児が生まれましたし、北海道では外地からの引き揚げの問題【※】が大きかった。

【※注】……第二次世界大戦敗戦で満州や樺太をはじめとする地域から日本に帰国した人たちの生活問題

日本全国から集まっていた満州開拓団の帰国者の4割は故郷に戻らず北海道の開拓に入ったそうですし、樺太からも多くの人たちが流れ込んだ。さらに、東京などで空襲を受け、家をなくした人たちも北海道へ来たのです。例えば、北海道江別市に「世田ヶ谷」地区がありますが、そこは東京の世田谷から移ってきた人たちが住んだところです。

彼らは、新しい土地の開拓を目的に移り住んだため、明治ごろから開発されてきた土地よりも、さらに山奥に住まざるをえませんでした。そうなると、子どもたちは学校に通えず、勉強の機会を失ってしまいます。

さらには、国籍の問題もあります。樺太から帰国してきた人たちは、国境線の変更で本籍地【※】がなくなり、戸籍を失った状態になります。しかし、戦後の混乱期ではすんなりと戸籍を作り直せず、無戸籍状態になってしまう人も多かった。

【※注】……樺太を本籍地としていた戸籍が国境線の変更により日本の領土ではなくなってしまうと同時に本籍地が消失。戸籍自体もなくなってしまった。

無戸籍状態だと、健康保険にも入れず、運転免許証を取れない。もちろん学校の入学案内も来ない。それで、学ぶ機会を奪われた子どもたちが出てくるのです。無戸籍の問題で未だに裁判を続けている人もいるそうです。

――さまざまな方が夜間中学に通われているのですね。

そうですね。北海道には、学びの受け皿がなかったため、自主夜間中学である遠友塾開講に至ったわけです。

皆さん一人ひとり事情は違いますが、生きているうちに学びたい一心で夜間中学に通ってきます。2018年度の最高齢卒業生は98歳の女性でした。毎回、息子さんが送り迎えしていましたね。

また、子どもの頃にパラオ島から帰国してきた女性は、通い始めた時は文字が「模様」にしか見えない状況でした。僕たちが、アラビア語を見たときと同じ感覚です。

その方は、ひらがなや漢字、アルファベットとコツコツと学び、無事に卒業しました。ご主人が入院され、看護師さんに「MRIの部屋に行ってください」と言われたときも、アルファベットを習っていたおかげで読めたとおっしゃっていました。

さらに多くの人に学ぶ機会を広げていくために

――この先、夜間中学はどのような方向に向かうのでしょう。

2017年に教育機会確保法が施行され、国が各都道府県に最低でも1校、公立夜間中学の設置を目指すと示しました。これを受けて、僕たちも北海道や札幌市の教育委員会と具体的な設置に向けての話し合いに入っています。

教育機会確保法は、これまで日本国憲法や教育基本法で定められた内容をより明確に示しています。

例えば、日本国憲法第26条では、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とありますが、「すべての国民」が誰を指しているのかはぼんやりしています。

そこで、教育機会確保法 第3条の4では、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その能力に応じた教育を受ける機会が確保されるようにするとともに、その者が、その教育を通じて、社会において自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、その教育水準の維持向上が図られるようにすること」とある。

つまり、年齢や国籍といったものに関わらず希望する人の全てに権利があるとしています。ですから、公立夜間中学はどんな立場や年齢でも学ぶ意思ある人なら通えるのです。

例えば、以前は不登校などで形式的に中学校を卒業した人は夜間中学入学を認められていませんでしたが、今は再入学できるようになりました。

――今、学校に行けない子どもたちは入学できますか?

大丈夫です。ただし、現在、学校に行けない状態にある子たちは、それぞれ事情が違うんです。

家から外に出られない子、出られても大勢の中に入れない子、学校を見ただけで震えだす子もいます。そういう子たちが、いきなり公立夜間中学に行くのは難しいでしょう。その前の段階を週1回の自主夜間中学でフォローできたらいいと思っています。

遠友塾の強みは、いじめのないところ。だって、じいちゃん、ばあちゃんばっかりなんですよ。誰がそんなめんこい(かわいい)子をいじめますか(笑)。

もちろん万能ではありませんが、遠友塾は徹底的に生徒第一でいきますから、不登校の子どもたちの選択肢の1つになりうると思います。遠友塾だけで頑張るのではなく、教育委員会とがっちり連携してやっていきたいですね。

工藤さんはこの後、基礎教育保障学会の日韓基礎教育プロジェクトの交流会に参加。同様の問題を抱える東南アジア各国との国際交流を今後も進めていくそう

また、民法772条の定めにより起こる「離婚後300日問題」などにより無戸籍となってしまった子どもの問題も新たに浮かび上がっています。教育委員会へ保護者が相談に来ることもあるそうです。

【※注】「離婚後300日問題」……女性が離婚後300日以内に出産した場合、民法上は元夫の子と推定される。たとえ、子の血縁上の父と元夫とが異なっていても、原則として、元夫を父とする出生の届出しか受理されない。これを避けるために、女性が子の出生の届出をせず、子が無戸籍になる問題

その場合、戸籍の有無に関わらず、小学校に入学させるそうです。でも、相談に行かず、そのまま学校に通わないままで大きくなってしまう子も多い。実際に、遠友塾でも無戸籍の兄妹を受け入れたこともあります。社会的に見えないところで、学校に行けない子どもたちという問題は、間違いなくあるのです。

今後、札幌に公立夜間中学ができれば、学ぶ意思ある人のための場はさらに開かれていくでしょう。ただ、公立夜間中学だけで、全ての問題を収束させるのは難しいと思います。自主夜間中学との両輪でお互いを補い合って、学びたい人たちを支えていきたいです。

(企画・取材・執筆:わたなべひろみ  編集:鬼頭佳代/ノオト)

取材先

自主夜間中学「札幌遠友塾」

前身の遠友塾読書会を経て、札幌で1990年開講した自主夜間中学。戦中戦後に基礎教育を受けられなかった方々を中心に、読み書きから数学、英語、社会を学ぶ。これまでの受講生は420人以上。現在は札幌市立向陵中学校で週1回授業を行う。

http://www.enyujuku.com

※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2019年5月5日)に掲載されたものです。

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