【大人の失敗から学ぼう Vol.01】 みんなと同じタイミングじゃなくてもいい!新聞配達の経験が教えてくれたコト(前田晃平さん)
生徒・先生の声
2020/03/13
中高生のみなさんは、高校卒業後の進路を決めているでしょうか。やりたい仕事や進みたい学校がはっきり決まっている人もいれば、「とりあえず進学かな」「少しでもいい学校に行ければ」と考えている人、まだ何も決めていない人、さまざまいると思います。
今回お話を伺った前田晃平さん(認定NPO法人フローレンス・マーケティング担当)は、「人と違うことをしたい!」と考えて卒業後の進路を決めたそうです。
しかしその結果、「バキバキに心を折られる」ことに……。さて、いったいどんなことが起こったのでしょうか?
「人と違う生き方を」と選んだ新聞配達員
—— 前田さんは今、病児保育問題や待機児童問題、赤ちゃんの虐待死問題など子育てに関わるさまざまな社会問題解決に取り組む認定NPOフローレンスで、マーケティング担当をされていらっしゃいますが、今はやりたいことをお仕事にされているわけですよね。
はい。事業を通してより多くの人がハッピーに過ごせるようにと考えています。やればやるほど、あれもこれもと課題が見えてきて果てはありませんが、「これをやった」というものができるように頑張っています。
—— 昔から社会問題を解決したい、という気持ちがあって進路を選ばれてきたのでしょうか?
いいえ。高校卒業後は、僕、新聞配達員になったんです。というのも、高校では野球部に入っていて毎日部活漬け、勉強から目を背けていたために成績は悪く、先生から「おまえに行ける大学はない」と言われてしまって。まわりは大学受験に向けて勉強している中、「人とは違う生き方をしよう」と思っていました。
—— それが新聞配達。なぜですか?
たまたま、大学紹介の雑誌の後ろにある募集の広告を見て、「これならひとり暮らしができる!」と思ったんですよね。
僕は男ばかりの4人兄弟で、早く家を出たかったんですね。新聞配達は住み込みで働けるの「新聞奨学生」という制度があるので、この先もし大学や専門学校に行きたいと思うようになっても、奨学金をもらって勉強することができると考えたんです。
—— かなり思い切った決断ですよね。まわりは進学していく中で、不安はありませんでしたか?
環境さえ変えれば自分も変われる、成長できると思っていたんです。高校時代は部活でも勉強でもパッとせず、女子にもまったくモテませんでした(苦笑)。でも、今までとまったく違う環境に身を置いて、違う世界を見ることで、自分が大きく変わるのでは、という期待があったんです。周りに流されてなんとなく進学するより、そっちのほうが絶対にいいと思いました。
心が完全に折れた、雨の日の大失敗
—— 新聞配達員の生活はどういうものだったのでしょうか?
新聞配達って、深夜2時半に起きて新聞にチラシを折り込んでから、配りに行くんですね。そして帰ってきて朝食をとって休憩、昼食後に夕刊を配り終えたら就寝。そういう生活パターンだったので、友達と会う時間も作れず、一人で過ごす時間が増えました。
毎日毎日同じことの繰り返しで、徐々に閉塞感を感じるようになってしまいました。
—— 他の配達員たちとはあまり交流する機会はなかったですか?
他の人は新聞奨学生で、昼間は専門学校などに通い空いた時間で課題をやるという生活なので、すごく忙しいんですよ。何もやることがないのは僕だけ。
そもそも新聞配達がやりたくてやっているわけでも、新聞奨学生としてモチベーション高く働いているわけでもない。「新聞配達を極めてやる!」という気持ちでもあれば良かったんでしょうが、僕にはそういうものがひとつもなかった。そもそもやりたいことではなかったし、他にやりたいこともなかったんです。みんな忙しそうにしている中、自己嫌悪が募っていきましたね。
—— それはなかなか、つらい毎日でしたね……。鬱屈を感じ始めたのは、新生活を初めてどれくらいだったんですか。
ひと月くらいですぐそんな状態になってしまいました。
—— 早い(笑)。
そんな状態が秋までずるずる続いて、ある日、高校時代の友人と食事をすることになったんです。そこで大きな敗北感を味わいました……。その友達は大学に進学していたんですが、話を聞いていると、やりたいことができて毎日が充実しているうえに彼女までできたとかで!
—— 自分は仕事もいまいちで、さらに女子にもモテないのに、と(笑)。友達がキラキラして見えてしまったんですね。
大学の講義を聞いているうちに興味を持って、法律を勉強しているという話でした。彼女ができただけでなく、オシャレにもなっていて。同じ野球部で坊主頭同士だったのに、髪を伸ばしてかっこよくしていたんですよ! 比べて自分は……と思ってしまって、すごく落ち込みました。さらに、追い打ちをかけるように、その1週間後に事件が起こりました。
—— 面白くなってきましたね(笑)。
すごい大雨が降ったんです。その日もいつものように80kg近くある新聞を自転車に積んで配りに行きました。そうしたら、道路のど真ん中で思い切り転倒してしまって、積んでいた新聞が見事にずぶ濡れに……。
—— わぁ、それは大変! もうすぐ冬になろうかという寒い季節の深夜に……。
午前3時くらいで、真っ暗でした。
新聞って、配達所に予備はびっくりするほどないんですよ。もしダメにしてしまったら、追加で注文して、それが届くのを待ってから再配達しなければいけないんです。なのに、大量の新聞をずぶ濡れにしてしまった。もう、泣くしかありませんでしたね。
—— お気持ちお察しします……。そのミスの処理はどうしたんですか。
配達所に戻って事情を話すと、当然ながらめちゃめちゃ叱られますよね。そして、上司と一緒に1軒1軒謝りに回って……。もう、完全に心がバキバキに折れました。自尊心はひとカケラも残ってなかったです。そして、翌日すぐに配達員を辞めてしまいました。
結果、おめおめと実家に戻ることになったのですが、親は爆ギレですよね。僕の選択は、逃げているだけだとわかっていたんだと思います。
大学に進学して再スタート。そこで見つけたものは……
—— その後、実家に戻ってからはどうされたんですか?
親に頭を下げて、冬から予備校に通わせてもらいました。大学へ行こうと思ったんです。でも勉強を真剣にやってみたら「もう1年あればもっと伸びて、選択肢が広がる」と思って、もう1年予備校に通わせてもらうことに。実質2浪ということになりますね。このときに、初めて勉強が面白い! と思いました。
—— 新聞配達員になったことはどう受け止めていますか?
しばらくは後悔していました。でもあの経験がなかったら、勉強を面白いとは思わなかったはずです。まわりに流されたり、人にやらされたりして選ぶのではなく、自分がやりたいと思って主体的に行動できたからこそ、受験勉強に真剣に向かうことができました。だから、新聞配達員は僕にとって必要なプロセスだったと思えるようになったんです。
—— 結果的に、大学に進学されたのですか?
慶応義塾大学総合政策学部に進学しました。最初は、「ホメられたい」「スゴイと言われたい」という気持ちで受験に挑んだんですが、学べば学ぶほど、楽しくなっていきました。今の仕事に至るまでもさまざまなことがありましたが、学ぶことの楽しさを覚えてからは、次々にやりたいこと、やるべきことが見えてくる。もちろんその後は失敗がなかったというわけではありません。でも、失敗によってどんどんブラッシュアップされるのを感じるんです。
—— まわりに流されて何となく決めるのではなく、主体的に物事を考えられるようになっていったと。
でも別に、流されてもいいと思うんです。流されない強い意志を誰もが持っているわけではないし、流されながらも自分で動いてみることで、何かをつかむこともできる。流されたなりに感じることもあると思います。
自分のペースで選択してもいい!
—— 学ぶことへの意欲の他に、失敗から得たものってありましたか?
たくさんあるんですが、新聞配達員をしたことで、誰もが恵まれた環境にいるわけではないと気付くことができました。みんな自分の置かれた厳しい環境や条件で頑張っています。でも、恵まれた環境にいるとそういう想像ができないから、周囲と同じようにできない人の失敗や挫折を「自己責任」と考えてしまう。みんなが枠にはまって生きる必要はないし、そうしたくてもできない人もいるのに、自己責任というのはおかしいのではないかと、考えるようになりました。
—— それが今のお仕事にも繋がっているわけですね。最後に、今の中高生たちにメッセージをお願いします。
おおー、恥ずかしいですね(笑)。
勉強も進学も何でもそうですけれど、必ずしも世間が要求するタイミングでやる必要はないと思います。何事も、いつから始めても遅くはありません。みんなは中3や高3で必ず受験しなければいけないと思うかもしれないけれど、社会に出てから学び直す人たちがたくさんいる国もたくさんあるんですよ。日本ももっと、やりたいと思ったときにやれる社会になるように、僕も頑張っていきます。
—— 今回は素敵な失敗談をありがとうございました!
<取材・文/ 大西桃子 >
この記事を書いたのは
ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。