【大人の失敗から学ぼうVol.06】天才じゃなくても、自分なりの方法で道を極める!(高瀬志帆)
生徒・先生の声
2021/05/14
好きなことはあるけれど、それで生きていけるのかな。
好きなことを仕事にしている人って、どうやってそこまでたどり着いたんだろう。
中学生、高校生になると、ぼんやりながらも「将来の仕事」について考えることが増えてくると思います。
できれば好きなこと、やりたいことを仕事にできていたらいいけれど、目の前にはテスト勉強や受験勉強があって、それが自分の将来にどう結びついていくのかわからない……。という人もいるでしょう。
そこで今回は、漫画家の高瀬志帆さんに、漫画家になるまでの道のりを中心にお話を伺ってみました。「子どものときから絵を描くのは好きだったけれど、絵で食べていくことは想像もできなかった」という高瀬さん。
会社員生活を経て、どのように今の仕事に就いたのでしょうか。
また、高瀬さんはいま話題となっている、中学受験の進学塾を舞台とした『二月の勝者−絶対合格の教室-』を、小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」で連載中。
この作品を描く中で高瀬さんが感じたこと、考えたことからも、10代の進路決定のヒントが得られました。
取材協力
高瀬志帆さん
漫画家。1995年デビュー。「ビックコミックスピリッツ」(小学館)にて『二月の勝者-絶対合格の教室-』を連載中。代表作に『おとりよせ王子 飯田好実』(月刊コミックゼノン/徳間書店)など。
漫画で生きていけるのは特別な才能がある人だけ……
―― 『二月の勝者』大変面白く読ませて頂いています。高校受験を控える子にも共感できることが多そうですね。
ありがとうございます。どうやったら受験に勝てるかという話ではなく、受験に向かうプロセスでいかに子どもも大人も成長していくか、また合否以上に大切なことを考えてほしいと思っています。
―― 高瀬さんは子どもの頃から漫画家志望だったのですか?
いえ、実は考えたこともなかったんです。子どもの頃から絵を描くのは好きだったのですが、「絵で食べていく」という発想はまったくありませんでした。美大などに行くのは道楽で、食べていけるのはごくひと握りの人だと。
家でも、漫画を読むこと自体をあまりよしとはされなかったので、漫画家になるなんて考えられなかったんです。普通に四年制大学に行ってどこかの会社に就職するんだろうなと考えていました。
―― 「憧れはあるけれど、現実としてはこうなるんだろうな」という感覚は、多くの中高生が持っていると思います。それで大学に進学されたんですか?
それが、私の家は母子家庭で、年子の兄が大学受験で浪人をして予備校に通うことになったため、私にはあまり教育費をかけることができなくなってしまって。それで私は短大に入りました。
卒業後はミュージシャンにインタビューする仕事がしてみたいなと思ったのですが、四大卒でないとそういう会社には入れないということがわかり、勉強する気も失せました。幸い、就職には困らない時代だったので、卒業後は製薬会社の事務として就職。でもこの仕事が自分には向いていなくて……。内勤で10人くらいの営業マンの管理をする仕事だったのですが、マルチタスクが苦手で、ストレスがかなりたまってしまいました。
―― それでも、すぐには辞めなかったんですね。
その会社は女性社員は寿退社するのが当たり前だったので、それまではと思って続けていました。当時はまだ今みたいに転職も当たり前ではなかったですし、一度入った会社は辞めてはいけないと考えていたんです。
仕事がなくなっても、実家に頼ることもできませんでしたし。自分に合わなくても、仕事とはこういうものだと考えて働いていました。
―― 会社を辞めて漫画家になりたいとは、まったく思わなかったのでしょうか。
そうですね。クリエイティブで生きていけるのは特別な才能のある人で、自分とは関係ない世界だと思い込んでいたんです。
オンとオフを使い分けて、オフのときに好きなことをやればいいと、「スピリッツ」を読みながら通勤していました。
会社員をしながら漫画家デビュー、でもそれが失敗だった
―― それが、どんな転機で漫画家への道に進むことになったのでしょうか。
あるとき身体を壊してしまい、しばらく入院することになったんです。入院中は時間がたっぷりあったので漫画をたくさん読んだのですが、そのときに「やっぱり漫画が好きだな」と思いました。
それで、いつも読んでいる漫画雑誌の中に漫画賞の作品募集が載っているのを見つけて、思い切って応募をしてみたんです。すると初投稿で受賞でき、2万円の賞金をいただくことができました。しかも、出した作品が真っ赤になるまで丁寧に添削されて返ってきたんです。漫画家を目指してスクールなどに通えばお金を払わなくてはいけませんが、賞に応募したらきちんと添削してもらえて、受賞できればお金になる。これはいいなと思って、漫画家を目指そうと決意しました。本を買って勉強して、毎月1本応募しようと。
―― 会社員を続けながら、応募を続けたんですか。
はい。最初は1年やってみてダメだったら諦めようと思ったんです。そうしたら5本目で担当者がつき、デビューすることができました。でも、1作目は評判も良かったのですが、2作目は雑誌に載ることも叶わず、以降鳴かず飛ばずに。
2作目以降は担当者も変わったのですが、「時間のムダだからこんなレベルのものを持ってこないで」と言われてしまうほどで、漫画で食べていくのはそんなに甘くないなと実感することになりました。それで、一回諦めたんです。
―― 会社員との二足のわらじは難しかったということでしょうか。
というよりも、当時は25歳で恋人もいましたし、「結婚して家庭に入って、落ち着いたらまた挑戦すればいいかな」くらいの甘い気持ちがあったんです。また、高校から短大まで借りていた奨学金を返済し終わるまでは、会社を辞められないという事情がありました。ところが、たまたま以前投稿していた別の雑誌から「どうしています? もしアシスタントをやっているなら、ご相談させて頂きたい仕事があるんですが」と声がかかったんです。それでお会いして「今は会社員をやっているんです」と伝えたら、「漫画のほうでも、いくらでも仕事はありますよ」とおっしゃってくださって。
―― いよいよ本当の転機が訪れるわけですね。
そうですね。以前描いたものを見せてほしいと言われて持って行ったら、1本だけ気に入ってくださって、それをしっかり直してトップ賞受賞作ということで掲載し、デビューし直そうということになったんです。そこから大人気漫画家の先生のアシスタントをさせてもらうことなり、7年くらい勤めた会社を辞めました。
―― 漫画家としての道をしっかり歩み始めるまでに、紆余曲折があったんですね。
だから、今思うと私は漫画家としては一回失敗しているんですね。会社員という安全策を確保しながら漫画家を目指すなんて虫が良すぎたんです。やりたいと思っていることなら、安全策を考えずに飛び込むべきだったんですよね。そこにようやく気がつきました。
ずば抜けた才能がなくても、他で補えばいい
―― アシスタント時代にもいろいろな苦労をされたと思いますが、お聞かせいただけますか。
私がアシスタントをしていたトップ漫画家の先生は「倒れるまで描く、そこまでやらないといい漫画は描けない」というタイプの大天才。漫画の描き方もイチから学ばせていただきながら、必死に仕事についていきました。だから、最初は自分の作品を作るということは考えられなかったですね。「この先生のアシスタントに徹したほうが漫画界のためになる」と思いましたし、自分は先生のようにはなれないと感じていました。自分の売りが何かもわかりませんでしたし。
―― そこから、どのようにして自分で仕事を受けるようになったのでしょう。
その先生が「何でもやったほうがいい、みんながみんな描きたいものを描けるわけではない」とおっしゃってくださったのが大きかったと思います。
確かに、自分の売りがわからないなら、何でも依頼を受けてみて、その中で通用するものを探していけばいいんですよね。そう気持ちを切り替えて、いろいろなジャンルのお仕事を受けるようになりました。レディコミから育児もの、恋愛もの、小説原作のコミック化など、本当に何でも。
―― 実績を重ねることで、次の道が開けることもありますよね。
そうですね。過去に描いた作品を見せて、別の会社でまた使ってもらうという具合に、次々にいろいろな仕事をいただくことになりました。何でもやっていると、同業者から「そんな仕事を受けてどうするの?」と言われることもありましたが、自分には「納期を守る」くらいしかまだ売りがないと思っていたので。
―― 謙虚ですね……。
自分はデビュー時代は本当に絵が下手すぎて、ネーム(漫画のコマ割りや構図、セリフなどを表したもの)は通っても完成原稿は「載せられるレベルではない」と掲載してもらえないほどで、本当に才能があるわけではなかったんです。でも、凡人なら凡人なりに、何か別のところで補えばいいと思うようになりました。それで、今の仕事につながっていったんです。
―― 大天才とはタイプは違うけれど、それぞれのやり方で道を極めていくことはできる、というわけですね。
第一志望がダメでも、「失敗」じゃない!
―― 連載中の『二月の勝者』では、中学受験に挑む親子や進学塾などをかなり綿密に取材されていると伺いました。作品を作りながら、どんなことを感じてこられたのでしょう。
まず、子どもたちには自分の好きなことを大切にしておいてほしいということです。
職業につながるようなものでなくても、好きなことは心の支えになります。そういうものをないがしろにして、「東大を目指せ」「有名校へ進学!」という目標を立てるのは、人として本当に豊かな成長にはつながらないような気がしています。
―― 作品中、教育虐待のようなシーンもありましたが、受験生の親に対してはどのようなことを考えていますか。
私は作品を通して、「こういう親はダメだよね」と批判をしたいわけではないんです。今は親にもプレッシャーが大きい時代。「うちの三男はプラプラしてて」なんて気楽に他人に話せたおおらかな時代ではなくなって、親が責任を持って一人前に育てろ、というプレッシャーが他人から強く与えられる社会になってしまいました。その中で、親も迷うことがたくさんあると思いながら描いています。読者のみなさんとも一緒に考えていけたらなと。
ただ、「自分が選択を誤ったら子どもの人生がだめになってしまう」というふうに背負い込む必要はないということは伝えたいですね。子どもは子どもで、大人が思う以上に勝手に成長していきますし、学生生活を送るのも、最終的に進路を決めるのも、子ども自身ですから。
―― この春に受験をして、目指していた学校に進学できた子もいれば、できなかった子もいます。受験の経験を、中高生たちはどうとらえるとよいでしょうか。
進学は人生の目標地点ではありませんから、もし目指していた学校に受からなかったとしても、「失敗」ととらえる必要はありません。描いていたルートの軌道修正をすればいいだけで、その先の人生にはまだまだたくさんの岐路が待ち受けています。
私自身、漫画家になるまで遠回りをしてしまいましたが、遠回りをしなかったら気がつけなかったこともあったと思うんです。でも、好きなことややりたいことを持っていれば、たとえ遠回りをしても、その方向に進む道が、その人なりにできるんじゃないかなと思います。
―― だからこそ、「より有名校へ、より偏差値の高いところへ」ということにこだわりすぎず、好きなことを大切にしておくべきだ、と。
そうですね。視野を広く持って、いろいろな体験をしながら好きなことを見つけてほしいです。
―― ありがとうございました!
著書紹介
『二月の勝者-絶対合格の教室-』
「ビックコミックスピリッツ」(小学館)で連載中。
<取材・文/ 大西桃子 >
この記事を書いたのは
ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。