難しい言葉を知らなくてもいい――国語辞典編纂者・飯間浩明さんに聞く「伝わる文章」の書き方
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2022/08/15
学校の小論文やレポート作成、仕事の業務連絡、趣味のブログやSNSなどなど……。私たちは日々たくさんの文章を書き、他者とコミュニケーションをとっています。特にコロナ禍以降はリモートでやり取りする機会が増え、テキストコミュニケーションのスキルがより重要になったといえるでしょう。
にもかかわらず、文章の書き方は誰に教わるでもなく、「なんとなく」書いている人が多いのではないでしょうか。ときには自分の意見や気持ちを上手くまとめられず、誤解が生まれたり何度もやり取りしたりすることもあり、文章を書くことに苦手意識をもつ人も少なくありません。
では、どうすれば文章力を身につけられるのでしょうか? テキストコミュニケーションを円滑にするコツについて、『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『伝わるシンプル文章術』などの著者で、国語辞典編纂者の飯間浩明さんに伺いました。
「相手は自分のことを理解していない」と思いながら書く
――飯間さんは文章に関する著者を多数書かれていますが、そもそも文章力を身につける意義はどんな点にあると思いますか?
なぜ私たちが文章を書くかというと、要するにお互いを理解するためです。自分はある映画を高く評価している。ところが、相手はその映画を知らないか、あまり評価していない。文章を書くことで、「なるほど、あなたはそういう理由で評価するんですね」とわかってもらう。文章力はそのために必要なものです。
私たちはなんとなく、「相手は当然、自分のことを理解してくれるだろう」と決めてかかる癖があります。でも、別々の人間である以上、考え方も違う。そのことを踏まえずに文章を書くと失敗します。
たとえば、「政府はむだ遣いをやめて、税金を安くすべきだ」と訴えたくて文章を書いたとしましょう。つまり「減税せよ」と言いたいのですが、これに対してAさんは「税金は、むだ遣いをしなければ高くてもいい」、Bさんは「筆者は生活が苦しい」、Cさんは「今の政府は能力が低い」という話だと受け取るかもしれません。こんなふうに、自分が伝えたいこととは異なるメッセージとして相手に受け取られたとしたら、文章を書いた意味はなくなってしまいます。
考え方が異なる相手に、自分の考えを共有したい。これが文章を書く出発点です。したがって、伝わる文章を書く上では「相手は自分のことをまったく分かっていない」「自分も相手を理解していない」と頭に置かなければなりません。
――読み手への想像力が必要になるわけですね。相手に自分の考えを伝えるためには、具体的にどんなことを意識すべきでしょうか?
おおまかにまとめると、「書きたいことを一文であらわす」「中学生でもわかる表現を使う」「類義語の違いに敏感になる」の3つです。
雑談をしていると「結局、何が言いたいの?」と思うことがありますよね。“伝わる”とは、「要するにこういうことだ」と相手に届くということ。まずは言いたいことを要約して、一文で言えるようにします。
また、仕事の文章では「カッコいい表現を使いたい」「賢そうに見える文章を書きたい」と考えがちですが、それは伝わらない要因となります。なるべく、中学生でもわかるような表現を使うようにします。言葉を選ぶときも、文章を組み立てるときも、やさしくシンプルに書くことを意識してください。
日本語は、辞書に載っているだけで7~8万もの言葉があります。物事を微妙に表現し分けるために、それだけの語彙がある。気分で使い分けるのではなく、AとBはここが違うんだ、と気づくことが大事です。
――「AとBはここが違う」とは、具体的にどんなことが挙げられるのでしょうか?
たとえば、食事をしたいとき、LINEで「何か食べるもの持ってきて」と送っても、相手はお菓子を持ってくるかもしれません。「食べるもの」にもお弁当やお菓子、果物などいろいろあります。そういう多義性を考えずに言葉を使うと、誤解が生じるのです。
あるいは、1つの言葉に複数のニュアンスがあるケース。たとえば、嫁が姑に対して「お母さんは抜け目ない人ですね」と言ったところ、姑がびっくりしてしまったという話がありました。
嫁は「いつでも気配りができて、注意が行き届いていますね」と褒めるつもりで言ったわけです。ところが「抜け目がない」は、泥棒がうまく証拠を消して逃げるといったような、ずる賢く行動する様子を意味することが多い。
似た意味の複数の言葉でも、それぞれに伴うニュアンスは大きく違う場合があります。そこを理解しないまま使うと、すれ違いが起きるかもしれません。
起承転結は万能ではない。目的に沿った論理構造を考える
――「文章を書くときは“論理”が大事」とよく言われます。論理的でわかりやすい文章を書きたい場合、どういう点に注意すればいいでしょうか?
目的によって文章の構造が違うと、はっきり意識することです。私はよく“文章には「日記文」と「クイズ文」の2種類がある”と説明します。
日記文とは、「出来事」(事実)を報告して、必要に応じて「感想」を付け加えるタイプの文章です。日記の文章がその典型です。
一方、クイズ文とは、「問題」を設定し、直後に「結論」を示し、さらに結論に至る「理由」を示すタイプの文章です。クイズのように問題を出して、結論の形でそれに答えるので「クイズ文」なのです。
ただ、実際は、日記文とクイズ文を区別せずに書き始めてしまうことが少なくありません。何か主張しなければいけないのに、「こういう事実がある。それを知って嬉しかった」と気持ちだけ述べて終わってしまう、というように。
日記文を書くなら、「○○があって、××が起こった。私は悲しかった」と順序を組み立てて考える。クイズ文なら、「○○は××だろうか?」と問題を提示した上で自分の結論を述べ、理由とその証拠を揃える。文章を書くときは2つのタイプを分けて、論理的な構造を思い浮かべてから始めてみるといいでしょう。
――論理的に書く場合、クイズ文が適しているのでしょうか?
私は2つのタイプに優劣をつけているわけではありません。日記文も「○○があり、その後××があって、そうかと思っていたら意外にも△△が起きた」と、順を追って展開を述べなければいけないので、論理性は必要です。ただ日記文は、比較的単純な構成でも書けます。極端な話、出来事を時系列にならべるだけでも一応の形になります。
一方、主張を述べる文章は、相手を説得する必要があるので、理由やそれを裏付ける根拠などの要素が求められ、少しややこしくなります。その区別はしておいた方がいいでしょう。
――文章の構成では、「起承転結に気をつけましょう」という話もよく聞きます。
実は、起承転結はどんな文章でも合うわけではありません。そもそも、これは漢詩を作るための型です。この型が有効なのは、主に創作ですね。小説や漫画、特に4コマ漫画などを構成するのにふさわしい。
主張を含む文章に起承転結を使うと、かえって分かりにくくなります。「自分の主張は○○かと思いきや、実は××で……」となると、「結局何が言いたいの?」となるわけですね。
書き言葉は、相手の反応をリアルタイムで把握できない
――最近は対面や口頭より、文章で伝える頻度が高くなっているように感じます。文章力とコミュニケーション能力の関係性について、どうお考えですか?
20年ほど前までは電話が全盛で、まめに手紙を書く人はそんなに多くなかったですね。「筆無精」という言葉があったくらいです。私も昔はよく知り合いに手紙を書きましたが、それでもさすがに毎日のように書くことはありませんでした。
今は電話をかける頻度が減り、誰もが毎日何通ものメールを書くようになりました。筆無精なんて言っていられなくなった。ただ、電話もメールも、それぞれ相当のコミュニケーション能力がないと使えません。必ずしもメール時代だから高い「コミュ力」が必要になったわけではないと思います。
――ただ、「話し言葉」と「書き言葉」では、伝え方が変わりますよね。書き言葉において注意すべき点はありますか?
「本当にこの文章で伝わるだろうか?」とよく確かめることです。音声言語のコミュニケーションで有利なのは、相手が勘違いしているなと思ったらすぐ訂正ができる点です。表現を変えたり、もう一度繰り返したりして補うことができる。
しかし、書き言葉は、相手の反応をリアルタイムで把握できないので、100%伝わったと思っていても、実は案外伝わっていない、という落とし穴があります。だからこそ、誰にとってもわかりやすい文章を書くことが大事なのです。
――TwitterやLINEなどでは「打ち言葉」が使われます。打ち言葉での注意点はありますか?
絵文字や顔文字、LINEのスタンプは、打ち言葉ならではの表現ですね。また、極端な省略も特徴の1つ。たとえば、友達同士であれば「了解いたしました」と書かなくても、「り」だけで伝わります。
ただ、打ち言葉の約束事はまだ確立してない部分が多い。あまり打ち言葉に頼らないで、なるべく書き言葉で完結させる訓練をしたほうがいい、というのが私の考えです。
「気持ちがうまく伝わらないところを絵文字で補う」という考え方がありますが、絵文字や顔文字でも誤解は生まれます。たとえば、悲しい気持ちを伝える意図で「(´;ω;`)」「( ノД`)」など泣いている顔文字を送ったところ、相手が「馬鹿にされている」と受け取った、なんてこともありえます。その場合は、文字ではっきり「悲しくなった」と書いたほうが伝わる。
「顔文字がないと、怒っているように思われる」と考える人がいますが、それは言葉が足らないだけです。表現をいろいろ工夫してみましょう。打ち言葉の時代でも、書き言葉を練習することは大いに役に立ちます。
自分も相手も、それほど語彙力はない。プレッシャーを感じず、気楽に書こう
――文章力を身につけるためには、どんなことをすればいいでしょうか?
平凡な答えですが、やはり本を読むことですね。小説もいいけれど、論理力を鍛えるためには評論がいいでしょう。一つの主張を、証拠と共に述べているような本です。どの本がいいかは相性もありますが、書店の新書の棚を探索してみることをお勧めします。
それから書く練習ですが、まずは先にも述べたとおり、言いたいことを一文で要約してみます。文章を書いた後に、その言いたいことが確かに表現されているかを点検します。まあまあ論理が通っていれば、それでよしとする。とりあえず、細部の表現などは気にしなくていいでしょう。いろいろ書いているうちに、言葉の選び方なんかはうまくなってきます。
――よく「語彙力が重要だ」と聞きます。できるだけ多くの言葉を知っておくべきでしょうか?
いえ、語彙力はそれほど重要ではありません。実は先日『語彙力がなくても「伝わる」 ビジネスメール術』(朝日新聞出版、共著)という本を出しました。言葉の意味やニュアンスの違いを感じ取る力は必要ですが、「他の人が知らないような言葉をたくさん知っている」という意味の語彙力は必要ありません。
たとえば「ご海容ください」という言葉があります。海のような広い心でお許しください、という意味ですが、相手に伝わるでしょうか? なんとなくカッコよく見える言葉ですが、相手によっては謝っていることすらも伝わらない恐れがありますよね。
――難しい言葉をたくさん知っている必要があるかというと、そんなことはない、と。
カタカナ言葉も同様です。相手に伝わらないことが多いですからね。繰り返しになりますが、なるべく簡単な、中学生でもわかる言葉を使って書くことです。自分も相手も、そんなに大した語彙力はないですから。
――最後に、文章を書くことに苦手意識を持っている人へ、何かアドバイスがあればお願いします。
「自分は文章力がないな」と考えている人は、あなただけではありません。偉そうなことを言っている私も、原稿の依頼を受けて書きあげるまで苦しみます。それこそAとB、どちらの言葉にするか悩むことも多い。周りの人だってそんなに文章が上手いわけではないので、プレッシャーを感じなくていいですよ。ここまでお話ししたことも参考に、気楽に書いてください。
(取材・執筆:村中貴士 企画・編集:野阪拓海/ノオト)
取材協力
飯間浩明さん
1967年、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院博士課程単位取得。2005年、『三省堂国語辞典』編集委員に就任。国語辞典編纂のために、さまざまなメディアや日常生活の中から現代語の用例を採集し、説明を書く毎日。著書に『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』 (PHP新書)、『伝わるシンプル文章術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『日本語をつかまえろ! 』(毎日新聞出版)、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』(朝日新書)、『辞書を編む』(光文社新書)、『つまずきやすい日本語』(NHK出版)など多数。ツイッターでことば情報を発信する一方、クイズやディベートを取り入れた文章指導の経験も長い。
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2022年8月15日)に掲載されたものです。