学校以外の学びの場は? 日本とどう違う? 海外の不登校事情を聞く!

不登校

2024/07/11

令和以降、急激に増え続けている不登校の児童・生徒数。文部科学省の調査では、令和4年度、小・中学校における不登校児童・生徒数は29万9048人で、過去最高の人数となりました。

具体的に見ると、たとえば中学生では、令和2年度に生徒全体の4.09%、令和3年度に5.00%、令和4年度では5.98%と、毎年ほぼ1%の割合で増加しています(「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」より)。

今、こうした状況から我が国では、不登校の児童・生徒の状況に応じた支援や、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーの増員など、さまざまな対策が必要とされています。

一方で、海外でも同じように不登校の子どもたちは増えているのでしょうか?

もし不登校が課題となっている国があるのであれば、どのような施策が講じられているのでしょうか。

今回は、不登校やひきこもりを経験した18歳以上の若者の学びの場「特定非営利活動法人TDU・雫穿(てきせん)大学」の代表で、教育社会学者として国内外の不登校事情に詳しい、朝倉景樹さんにお話を伺いました。

海外には不登校という概念がない!?

——日本では、不登校児童・生徒の増加が問題となっていますが、同じような課題を抱えた国は他にあるのでしょうか?

実は、日本のような不登校の課題を抱えた国は、他にはありません。いじめで学校に行けなくなってしまう子どもはいますが、日本のようにそれ以外の原因も含めて不登校になる子どもが増え、その対策が必要とされているような国はないのです。

——それはなぜでしょうか。日本の場合、文科省の調査によれば、小・中学生の不登校の主たる理由として最も多いのが「無気力・不安」で51.8%、次に多いのが「生活リズムの乱れ・あそび・非行」で11.4%となっており、「いじめ」については0.2%と少ない印象です。子どもが「無気力・不安」な状態になることが、海外ではないということでしょうか?

まず、文科省の調査は子どもや保護者ではなく、学校に調査をしたもので、実際の理由がそうなのかは疑問視しておかなくてはなりません。
そのうえで海外についてですが、「不登校」という概念そのものがないと思っていただくほうがいいかもしれません。というのも、日本の教育は、国が定めた学習指導要領に沿って、小学校、中学校に通って学ぶというひとつのメニューしかありません。その学校に行けなくなれば「不登校」とされてしまいます。ですが、欧米などの先進国では、日本の学習指導要領のような国の指針はあっても、別のさまざまなメニューも教育として認められていて、自分に合うスタイルを選んで学べるのです。
たとえば、藤井聡太棋士が幼少期に受けていたという「モンテッソーリ教育」、あるいは「イエナプラン教育」や「シュタイナー教育」などさまざまな教育プランがあり、かつオルタナティブスクールやホームエディケーションなど、学びの場所も多様にあります。
通っていた学校に何らかの理由で通えなくなっても、別の教育メニューを提供する場所に変えて学ぶことができるため、不登校という概念がないのです。

——なるほど。日本にはフリースクールがあるとしても、学校に行けなくなれば不登校となり、学べる環境から遠ざかってしまいます。でも、他の先進国ではそうではないことが多いわけですね。

はい。日本では40人学級(小学校は令和3年度から学年ごとに段階的に35人学級に変更)で、全員が学習指導要領に沿って、同じ年齢、同じタイミングで同じことを学んでいかなくてはなりません。そのスタイルやスピードが合わなければ、欧米先進国であれば途中で「こっちに転校しよう」と違うプランを選べますが、日本の場合はしんどくても我慢し続けなければいけませんよね。

——学校に行く時間帯、同年齢だけが集まる40人学級の教室の雰囲気、何年生ではこれを学ぶと一律に決められたカリキュラム。ストレスや違和感を感じても学校しか選べず、行けなければ「不登校」とされてしまう仕組みは、日本特有のものというわけですね。では海外では、不登校に関する調査そのものが、ほとんどされていないのですか?

そうですね。欧米では不登校という概念がないので、日本のような調査はありません。ただし、韓国や台湾など、日本と同じような競争的な教育を行っている国や、画一的な教育プランになっている国も一部あり、そうした国ではここ数年で不登校が問題視されてきています。

学校以外の学びが「出席扱い」目的になる日本

——日本でも公的なものでは「教育支援センター(適応指導教室)」や、民間のフリースクールなど、学校以外の学びの場もあると言えばあると思います。他国の「多様な教育の場」とはやはり構造的に違いがあるのでしょうか。

日本の場合、多様な学びの場を提供しようという声もありながら、やはり根底には「学校ありき」という考え方が残っています。たとえば、フリースクールなど学校外の施設で指導を受けている場合には、学校長が認めれば「出席扱い」として受けた日数をカウントしてもらえることになっています。一見、多様な学びを認めているようにも思えますが、出席日数は子どもにとって本質的に必要なものなのでしょうか? 何を学び、習得したかよりも、出席したことはそれほど重要なことなのでしょうか。

——たしかに、日本の場合は出席日数にかかわらず小・中学校は卒業できますし、出席イコール学力の習得ではありませんね。文科省のホームページにある「不登校への対応について」には、この出席扱いについて、「当該施設への通所または入所が学校への復帰を前提とし」という文言が記載されています。学校ありきという考え方が、ここからもわかります。

最近では、家庭でのオンライン学習も一定の条件下で出席として認められるようになりましたが、これも出席扱いにしてもらうために、学習指導要領に基づいた勉強ができるサービスを探して、その学習実績を学校に認めてもらわなければなりません。
欧米で取り入れられているホームエデュケーションに似ているように思われますが、欧米の場合は、家庭を拠点として、子どもの個性や興味、意欲に基づいて、家庭だけでなく地域の人や施設などさまざまな資源も活用して学ぶものです。アメリカのホームスクーリングなどでは家で学校の勉強をするようなものもありますが、出席日数確保に必要な学びに子どもが合わせ、それを親が管理するといった日本の学び方とは異なります。

——出席日数にこだわるのは本質的ではないということはわかりますが、一方で、高校進学にあたっては出席日数が内申点に影響し、足りないと不利になってしまう現状があります。

日本の入学プロセスでは、学校側が時間・費用・人などのコストをかけず、入試と内申書で合否を決めるという受験側に負担を重くする制度になっています。欧米では推薦入試でなくても面接、志望動機なども詳しく書いた入学書類や論文などを、時間をかけて選考します。本質的な教育を目指すのであれば、入試システムを変えることしかありません。
欧米では進学の際、生徒が今まで何に力を入れてきたか、何を習得したかといった内容が具体的に問われます。選考にも時間をかけます。さらに言えば、日本のように15歳で高校受験、18歳で大学受験と、年齢によって決まったルートもありませんので、日本のように「落ちたら終わり」と感じさせてしまうプレッシャーもありません。

——海外では、一度社会に出てから大学に入学したり、本来なら中学生の年齢の子が飛び級で大学に行ったりすることもありますが、日本では一般的ではないですね。

日本の「当たり前」から離れて考えよう

——お話を伺っていると、日本の教育システムは、合わない子どもたちにとってはかなり負担になりますね。海外のような教育システムにはすぐには変わらないでしょうし、日本で不登校になった子どもはどうしたらいいのでしょう。

日本でも、今は通信制高校や東京都立のチャレンジスクール(不登校や高校中退を経験した生徒が自分のライフスタイルに合わせて学べる高校)など、少しずつではありますが選択肢が広がってきています。就職についても、学歴を問わない企業もあれば、不登校などの経験が生かせる場所もありますし、仲間同士で集まって仕事を生み出すこともできます。「こうでなければいけない」「みんなと同じでなくてはいけない」という考え方をまず変えることが重要かと思います。

——無理に大多数に合わせようとしないということですね。

日本の子どもたちは12歳で中学、15歳で高校に入学し、その中で定期試験や部活動、学校行事など次から次へとやるべきことが与えられ、「社会の時間」を生きる訓練をさせられています。自分自身の時間を生きる余裕がないんですね。社会が要請した「普通のルート」に乗って学校を卒業し、働き、一生を終える。それが本当に幸せなことなのか、考えてみるとよいと思います。世界的に見れば、それは必ずしも一般的ではないという視点で考えてみてください。

——ルートから外れたら不幸なのではなく、日本という狭い社会でのルートに乗せられていること自体が不幸なのかもしれないと考えると、そこから外れて立ち止まり、自分を見つめ直す時間があるのはいいことなのかもしれませんね。

これまで多くの不登校経験者と出会いましたが、「不登校になって幸せだった」という子もいます。なぜなら、「自分がどう生きたいか、それを実現するために何が必要かを考える時間があったから」とのことです。
今、日本では10〜20代の死因で最も多いのが自殺です。国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦先生による若年層の自殺についての調査では、自殺を選んだ不登校経験者のうち、約75%が再登校をしていた子どもだったそうです。無理に「学校は行かなくてはいけない場所」と考えるのではなく、自分なりに社会で幸せに生きていくために、何を学び何を大切にしていきたいか、考える時間が必要だと思います。また、その環境を大人が整えなくてはいけません。

——国が教育の多様化について根本的に見直し、教育にもっと投資することも必要ですが、同時に私たち一人一人が、社会に要請された生き方が本当に幸せなのか、それを子どもたちに押しつけていないか、考えなければいけませんね。ありがとうございました。

取材協力

特定非営利活動法人 TDU・雫穿大学

朝倉景樹代表

教育、エスノグラフィー、社会構築主義などの分野の社会学を主として、不登校、ひきこもり、ソーシャルマイノリティー、オルタナティブ教育、デモクラティック教育、当事者研究、フリースクール、ホーム(ベースド)エデュケーションなどを対象に研究。

<取材・文/大西桃子>

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この記事を書いたのは

大西桃子
ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。