不登校という「色眼鏡」をかけない人との時間が、「フツウ」になれない自分が変えたーー棚園正一さんが漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』続編を描く理由
不登校
先輩に聞く
2020/03/10
小中学校の9年間、ほとんど学校に行っていない。そんな実体験を先生や友人との出会いを交えながら描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)。作者の棚園正一さんが不登校になる気持ちを赤裸々に表現した作品として、発売から4年経った今でも、長く読み続けられています。
作中に「9人目の先生」として登場したのは、『ドラゴンボール』作者の鳥山明先生です。棚園さんのお母さんと同級生だった縁から交流が生まれ、その時間が「学校に行くこと」や「フツウ」への考え方が変わり始める一つのきっかけになったそう。
2020年2月に始まる同作の続編『学校へ行けなかった僕と9人の友達』の執筆理由と合わせ、「フツウ」や「学校に行かないこと」との付き合い方を考えます。
大人になってから気づいた、「みんな違うのが普通だ」ということ
ーー『学校へ行けない僕と9人の先生』は、学校に行けないことに対する複雑な感情が、飾らずに描かれていたのが印象的でした。それは意識されて描かれたのでしょうか?
作品を描いていると、セリフがどうしても飾った表現になりがちなのですが、担当編集者さんの「とにかく正直に描いて」というアドバイスから、なるべく素直な言葉を使うように心がけました。
おそらく、僕自身の正直な気持ちが一番貴重で読者に伝わるだろうと考えて、そう言ってくださったんだと思います。
ーーまず、『学校へ行けない僕と9人の先生』を描いたきっかけを教えてください。
名古屋の大須商店街のなかに、「漫画空間」という漫画を描く専門のお店があります。オープン前からそこの内藤店長と知り合いだったこともあり、宣伝の意味を込めて、そこを舞台にした読み切り漫画『まんくう』を描きました。その作品が「漫画アクション」に掲載されました。
店のコンセプトの珍しさもあり、その漫画がきっかけとなっていろいろな取材を受けました。そのうちの1つが、全国放送されるNHKのドキュメンタリーです。僕が視点役の一人となり、漫画空間に来るお客さんを紹介していくという構成の番組でした。
その中盤で僕自身はどういう人生を送ってきたのかを紹介するパートがあり、昔は不登校で有名漫画家さんとの出会いがあったことを話したんです。それで、その番組を見た編集者さんから、「次回作はその話にしましょう」と強く勧められたのが、本書をつくることになったきっかけですね。
ーー自分の過去の不登校経験を語るのは辛くなかったのでしょうか?
正直、全然抵抗はありませんでした。ただ、僕自身は不登校を特別な経験だと思っていなかったので、面白い作品になるかどうかは分からなかったですね。
親御さんやカウンセラーさんのような支援者が描いた本はたくさんあるけれど、当事者が不登校の気持ちを描いた漫画はあまりないので、貴重なものになるのかなとぼんやり思っていた程度です。
ーー学校に行かなきゃという意味での台詞「フツウにならなきゃ」が何度も作中に登場していたので、特別じゃない経験とおっしゃることを意外に感じました。
あの頃は、学校に行けるのが普通で、自分が正しい普通の枠にハマっていないような気持ちがあって苦しんでいたんですよね。
でも、僕の中ではその経験はすでに昇華しているんです。当時は辛かったけれど、いま考えるとその「辛かった」「大変だった」ことって、みんな多かれ少なかれ経験しているものでしょう。
だから、当時の自分の経験はそんなに特別なものではない、と思っています。この漫画を描くまで、自分が不登校だったこと自体を忘れていたくらいです。
ーーえ、忘れていたんですか?
大人になるほど、小中学校で不登校だったかなんて関係なくなってきませんか? 大学や専門学校にはいろいろな世代の人がいますし、「小学校にあんまり通ってなかった」と話しても、「そうなんだ」くらいで済んでしまいます。
20代半ばの頃、小学校の同窓会へ行ったときにもそれを感じました。自分は地元から離れた中学校へ進学したので、周りのイメージが小学校のままで止まっていたし、周りも「不登校の僕」しか知らない。だから行く前は、すごくビビってたんです。
でも、いざ参加してみると、みんな僕が学校に行ってなかったとは知っていたけど、「だから何?」みたいな感じで話せて。同窓会をきっかけに、新しく友だちもできました。だんだん学校に行っていたかどうかなんて関係なくなってくるんだな、と改めて感じましたね。
ーー「当時考えていた普通」と「大人になってから見える普通」、どんな違いがあると感じますか?
当時は学校に行くこと、みんなと同じことができるのが“普通”だと思っていましたが、今は「そもそも、みんな違うのが“普通”なんだな」と考えられるようになりましたね。
そう言っておきながらも、隣の芝は青く見えることもあるんです(笑)。今でも、人の近況を聞くと、自分と比べてうらやましく感じたり。
でも、「それぞれ違うのが普通」だとちゃんと分かっているので、この両方の気持ちをひっくるめて、「人それぞれなんだな」と思っています。
鳥山明先生と過ごしたのは、自分を「色眼鏡」で見ない人との時間だった
ーー続編を描くと決めたきっかけを教えてください。
『学校へ行けない僕と9人の先生』の出版後、全国から講演会のご依頼をいただいたんです。
そこでは、いろいろな苦しみと悩みの渦中にいる親御さんや本人、先生、教育関係者と会う機会がありました。「娘がこのまま不登校で学校に行けないままだったら、娘を殺して私も死ぬ」と話すお母さまや、トランスジェンダーで学校に行けない当事者とか。
僕の経験はあくまでも一例です。そういう方々に対して言えることには限界があり、無力さを感じましたし、本当に大切なことはなんだろうといろいろ考えました。
多くの方が気にされているのは、「この先、不登校や引きこもりの子どもはどうやって大人になっていくのか?」です。『学校へ行けない僕と9人の先生』は、僕が中学生になるまでのエピソードが中心だったので、続編では中学卒業後から今まで、どう大人になっていったのかを描こうと考えました。
人生はいろいろな人との出会いの積み重ねが連鎖しながら広がり、変化が生まれていくものです。アニメの専門学校や大検(現・高等学校卒業程度認定試験)予備校、大学などで出会った人々とのエピソードを背伸びしないで正直に描いていく予定です。成長するにつれて普遍的なドラマが多くなるので、広い層の人が楽しめる作品になると思います。
ーー出会いと言えば、『学校へ行けない僕と9人の先生』の最終話で描かれた、『ドラゴンボール』の作者・鳥山明先生との出会いは、棚園さんにとって大きな変化になったのではないでしょうか。
僕が鳥山先生に会えたのは、母と鳥山先生が同級生だったから。偶然が重なって起きた出来事でした。
それから僕が描いた漫画を定期的に見てもらうようになったのですが、鳥山先生に会えたからすべてが劇的に好転して、学校に行けるようになったわけではありません。そこからいろいろな人と出会って、「学校へ行く」という生き方以外にも目を向けられるようになりました。
講演会のアンケートでも、鳥山先生とのエピソードから「自分の周りには有名人がいない」「棚園さんは運が良かった」「子どもに特技がない」といった声をいただくことがあります。僕が幸運だったのは間違いありませんが、何よりも良かったのは、鳥山先生が「不登校という色眼鏡で僕を見ない存在」だったことなんです。
ーー色眼鏡で見ない存在?
当時の僕は、家や学校で「学校へ行っていない子」として大人から見られていたんです。だから、言葉の後に「学校に行けるよね、行こうね」という語尾がついているように聞こえてしまって……。家と学校、その2つの世界の間で、息苦しくなっていました。
でも、鳥山先生には「学校へ行っていない」という話を一度もしたことがありません。もちろん情報として、僕が不登校なのを鳥山先生は知っていたけれど、会うときは僕が描いた漫画についてだけ話していました。
それで、鳥山先生に漫画を見てもらう時間が、家でも学校でもない、僕にとっての3つ目の世界になったんです。それが、僕の心の健康にすごく良かったんですね。
ーー「不登校」というレッテルを張られない世界だったんですね。
親や先生が子どもを大切に思うほど、「学校へ行っていない子」という状態を完全に忘れることは難しいですよね。すると、「不登校児」に対する接し方になってしまう。その状態を抜け出すためにも、いろんな人に出会って自分を色眼鏡で見ない、フラットな会話をしてくれる存在を見つけるのがいいんだろうな、と思います。
ーー親御さんも焦りがあるから、解決を急ぐんですよね。
どうしても、すぐに解決できる「特効薬」を、つい探してしまいますからね。その気持ちはすごく分かりますが、ロボットじゃないので、これをすれば絶対に変わるなんてものはないんです。少しずつの積み重ねでしか、人は変われません。
「なんとかしなきゃ!」と思って、親の余裕がなくなると、そのピリピリした空気が子どもにも伝わって悪循環になってしまうこともあります。
迷ってもがいている時間は停滞しているように見えるかもしれません。でも、そうして行動した時間がのちのちの財産になっていくんです。いま苦しみの中にいるなら、歯がゆいと思いますが、その状況がいつか自分だけの貴重な財産になるんだと、心のどこかに置いてもらったら、気持ちが少しは楽になるんじゃないでしょうか。
学校に行かないことを特別視しすぎなくてもいい
ーー最近は、「無理に学校に行かなくてもいい」という世の中の空気が強まってきたと感じます。
そうですよね。僕も、学校が嫌なら、行かなくてもいいと思います。僕自身は学校が嫌いで、学校での生活が合わなかったのですが、そのあたりの気持ちはちょっと複雑で……。
ちゃんと通っている子がうらやましかったですし、修学旅行とか高校の文化祭とか、たわいものない休み時間の会話も味わってみたかったですね。ないものねだりですが(笑)。学校には学校の楽しさや、そこでしか学べないことがありますから。
ーー鳥山先生の学校との関わり方の回答も、印象的でした。
学校に行っているかどうかって、塾に行っているかどうかくらいの小さな違いじゃないかな、と。行ってもいいし、行かなくてもいい。そのくらいの問題です。
ーー2019年は、学校へ行かないことを取り上げるメディアなども増えましたね。
そうですね。ただ、なかには、「学校に行っていない子には才能がある、他と違う感性がある」など、少し大げさなメッセージを出しすぎているケースもあると感じています。特別扱いをされすぎると、また「何者でもない自分」が足かせになって、何かできなきゃいけないと辛い気持ちになってしまう。
たとえば僕の場合、鳥山先生に漫画を見てもらうことで、漫画家になる夢がどんどん膨みました。学校に行く代わりに漫画にのめり込むことで、「学校に行けない」「自分は人と違うんじゃないか」という惨めな気持ちを埋めていたんですね。
だから、同時に「漫画がなくなったら自分には何も残らない。フツウの人以下になっちゃう」という気持ちもあって……。もし漫画がだめだったらそこから先の人生が全部嫌になってしまい、生きる気力を失っていたかもしれません。
でも、漫画は必ずしもうまくいかない厳しい世界です。僕も、順調に進んできたわけではありません。「学校に行かないから、この子には才能がある」みたいに言い過ぎるのは、諸刃の剣だと感じるんです。
そこまで大げさに考えずに、学校に行っていない時間の分、趣味や別のことを頑張ったり楽しんだりしたほうがいい。実際、鳥山先生も「漫画以外にも好きなことができるかもしれんしなぁ」と、いつも僕に言っていました。
それでも、僕は漫画しかないと思いこんで突き進んで、奇跡のような確率で今は漫画を仕事にしています。不登校経験をもとにした漫画を描くとは思っていませんでしたが、仕事になっているということは、そういう使命だったんだな、と。だからこそ、誠心誠意、漫画を描いていきたいです。
ーー最後に、良き出会いのために大切なことはなんでしょうか?
小学校低学年は本人にできることが限られているので、親御さんや周りの大人が学校以外の世界を見せてあげられたらいいのかな、と思います。
本人は嫌がるかもしれません。だから、タイミングを計りつつ、無理強いはせずに、時々提案してあげるのがいいかと思います。
習い事やフリースクール、同じ悩みを抱える親の会もたくさんあります。もし合わなかったら、別のところに行けばいい。1つの世界でそんなに苦しまなくてもいいし、いろいろな方向性があるのを知ることが大切です。
僕は不登校でしたが、カウンセラーや支援者などいろいろな方に家に来てもらったり、外へ連れ出してもらったりしました。それがなければ本当にずっと家にいたかもしれません。その点は両親に感謝していますね。
中高生になると、「先生や学校が世界のすべてじゃない」と分かりはじめます。そうすると、勝手に外へ出て人に会いに行ったりして、少しずつ自分が変わっていくのではないでしょうか。
でも、どれだけ選択肢が増えても、「学校に行けなくて苦しい気持ち」は変わりません。子どもたち一人ひとりに合った選択肢が、今後はもっと増えていけばいいなと思っています。
(企画・取材・執筆:鬼頭佳代/ノオト 編集:松尾奈々絵/ノオト)
取材協力
棚園正一さん
漫画家。1982年愛知県生まれ。2015年出版の「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)はフランス語にも翻訳された。作品に、「マジスター 見崎先生の病院訪問授業~」「マンガうんちく名古屋」など。現在は、不登校新聞で「学校に行けないみんなのキモチ」も連載中。
SHOICHI TANAZONO.com:https://ameblo.jp/shelf-studio/
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2020年3月10日)に掲載されたものです。