世間の常識って本当に正しいの? 離婚式、涙活の寺井広樹さんに聞く「ポジティブにひっくり返す方法」
先輩に聞く
2017/02/27
能動的に涙を流し心のデトックスを図る「涙活」、離婚を考えている夫婦の再出発を応援するセレモニー「離婚式」。これらはプランナー・寺井広樹さんから生み出されたものだ。
ネガティブなものをポジティブに変換する寺井さんの生き方とは? 今まで世になかった企画を生み出す原点について話を聞いた。
高校生のころの“トイレットランチ”
――子どもの頃はどんな性格でしたか?
どんなことでも疑問に思ったことは調べまくる、変わった子だったと思います。小学生の頃に「結婚式があって、なんで離婚式が無いんだろう?」と思い、親に聞いたら「そんなのあるわけないやろ(笑)」と言われたのを覚えています。子どもながらに、変なこと言っちゃったのかな? という感覚はありましたね。友達にも共感されなくて。
――中学2年生のときに、阪神・淡路大震災に遭われたそうですね。
はい。家が半壊して、避難所生活が数週間続きました。親しかった友達を亡くしたことがすごくショックで。同じ年の8月に、祖父も亡くなったんです。身近な人の死を2度経験し、漠然とした不安の中で「ポジティブに考えないとやっていけない」「なんでもプラスに捉えよう」という意識が芽生えたのかもしれません。
――高校生の頃はどんな生活でしたか?
高1までは普通に過ごしていたんですが、高2でクラス替えしたとたん、まわりに友達がいなくなってしまって。気づけば、話しかけても無視されるようになりました。
居場所がなくて、トイレや生物実験室でお昼ごはんを食べてた時期もありましたね。いわゆる「便所メシ」ですが、名前が良くないなと思い「トイレットランチ」と名付けました。言い方を変えただけで行動は変わっていないんですが、それだけで気持ちが軽くなったんです。名前の付け方ひとつでイメージが変わる、ということを体感した瞬間でした。
仕事を辞めて海外へ
――大学卒業後は就職されたのですか?
お世話になった先輩に「これからは人材ビジネスがアツイぞ」と言われて、人材派遣会社に就職しました。飛び込み営業で1日100軒ぐらい回りましたね。
毎日終電まで働いていて。仕事は楽しかったんですけど、ある時ふと旅に出たい誘惑にかられて、会社を辞めて海外放浪の旅へ出ました。
実は、最初から「3年働いたら辞めて、次のステージへ行ったほうがいいな」とも考えていたんです。結局、1年ぐらいずっと海外にいました。一度も日本に帰らず、数えてみたら全部で22カ国を周ったことに。
――会社を辞めることについて、ご両親の反応はどうでしたか?
そもそも美術大学への進学やアート系に興味があったんですけど、親のことを思って無難な方向に進んでしまっていました。社会人になって、その気持ちが収まらなくなったんです。親もその気持ちを察してくれたんでしょうね。
父は証券会社のサラリーマンだったんですが、仕事もできてカッコよくて家族も大事にする、人間的にも素晴らしい人で。尊敬しています。
子どもの頃から、父に対するコンプレックスがあったんですよね。「父親みたいになりたい、父を越えたい。でも無理だろうな」と。このままじゃ、確実に父は越えられない。じゃあ、違うフィールドに行ったほうがいいな、と思ったんです。「やりたいことは分からないけど、とりあえず海外に行ってみる」と。
――1年間の海外生活で、何か変わりましたか?
海外に行くと15時とか17時に閉まる店もあって、すごいなと思いましたね。サラリーマン時代、毎日終電まで働いていたのとまったく違う世界があった。働き方の多様性を見たら、選択肢がぐっと増えたんです。その頃から「会社勤めじゃなくて、自ら仕事を生み出してお金を稼ぐ」のもアリかなと思いはじめました。
あとは、海外を旅する途中で、「試し書き」がすごく気になって。文具店の筆記具を売っている棚の近くには、たいてい試し書きができる紙が置いてありますよね。
試し書きした紙って、お国柄や書いた人々のキャラクターが浮かび上がることに気づいたんです。紙もペンもさまざま。すごく興味深いなと思い、お店の人に許可を取って集め始めたら楽しくなって。途中からはとにかく「試し書きを探す旅」になってましたね。
世間が持つイメージを疑う
――その後、離婚式のプロデュースを始められるわけですが、何かきっかけがあったんですか?
あるとき、大学時代の先輩が離婚話を打ち明けてきたんです。私は先輩の奥さんとも知り合いだったので、「あんなに仲のいい夫婦が離婚するとは!」とびっくりして。そこで先輩に長年の疑問をぶつけたんです。「結婚式があって、なぜ離婚式がないのか?」と。話の流れで、離婚式をプロデュースさせて欲しい、と申し出ました。
最初は反対されましたが、なんとか説得して第1回の「離婚式」を開催しました。式の途中は冷や汗の連続でしたが、最終的には先輩夫婦や列席者から「思ったより良かった」「感動したよ」と言っていただき、ホッとしました。でも、そのときはビジネスにしようという意識はなかったんです。
2回目は、1回目の参列者から依頼されて。まさか2回目があるとは思っていなかったのですが、そのうちプロデュース料としてお金をいただくようになり、ビジネスに変化していきました。思いつきが形になって、どんどん膨らんでいきましたね。
私はもともと離婚に対して、ネガティブなイメージは持ってなかったんです。「新たな出発、門出」と受け取っていました。でも、世間一般的にはネガティブなものとされている。その価値観をひっくり返したいという気持ちがありました。指輪をハンマーで叩き潰すことで、元夫婦の表情が明るくなるイメージがパッと湧いてきたんです。
――涙活は、離婚式の中からから生まれたそうですね?
離婚式では旧郎旧婦(新郎新婦の反対)が出会ってから別れるまでの写真をスライドショーで流すのですが、旧郎様はそれをみて号泣します。女性のほうがよく泣くというのが一般的なイメージかもしれませんが、多くの離婚式では旧婦様のほうが冷静で、号泣されるのはたいてい旧郎様です。
そして泣いたあと、すっきりとした顔に変わるのを見て、涙のパワーに着目し「涙活」を思いつきました。悲しくて涙を「流してしまう」のではなく、能動的に涙を流してすっきりしよう、と。これも、泣くことがネガティブなことだという世間の価値観をひっくり返そうとしたんですね。
――子どもの頃から「ものごとの見方が人とは違う」という自覚はありましたか?
自分でも「変わってるな」と思っていましたが、中高生の頃って、はみだすと叩かれたりいじめられたりするから、怖いんですよね。極力おさえようとしていた。でも時間が経つとそれが個性になる。大人になると「変わっていること」が評価されたり、ビジネスにつながったりすることも多々あるわけですから。
「俺って変わってるのかな」と悩んでいる学生には「変わってていいんだよ」って言ってあげたいですね。
――寺井さんは次々と新しい企画を生み出していますが、そのモチベーションはどこから生まれてくるんでしょうか?
私は、偉い人になりたいとは思わないんです。自分が作った仕事やサービスが回りまわって、家族や友人の笑顔に結びついていくことが明確にイメージできている。それがモチベーションになっていますね。涙活で救われたと言ってくれる人も多いし、感謝のお手紙をいただくと「ああ、やってて良かったな」と思います。
――生き方や進路に悩んでいる人に、メッセージをお願いします。
選択肢は狭めないほうがいいんじゃないかなと思います。私は就職するときに「この業界が成長する」という観点で人材ビジネスの会社を選びましたが、海外に行ったらもっといろんな働き方があった。いろんな生き方があるし、正解なんて一つじゃないですから。
自分の向き、不向きって、やってみないと分からない。とにかく思いついたら、動いてみることです。一歩踏み出すってなかなかできないことだけど、頭の中にあるのと行動に移すのとは全然違います。アイデアって、形になるまでは無いのと一緒ですからね。
とにかくいろんな生き方に触れて、「自分が何をしたいのか」と照らし合わせていけばいいと思います。
(村中貴士+ノオト)
取材協力
寺井広樹さん
株式会社たきびファクトリー代表。「離婚式」を発案し、約400組の挙式に携わる。2013年1月から「涙活」をスタート。世界108国、約2万枚を蒐集する「試し書きコレクター」でもあり、CNN、ロイター通信、アルジャジーラなどの海外メディアからも注目を集める。『企画はひっくり返すだけ!』、『泣く技術』、『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」』など著書多数。「いじめ、自殺撲滅」をテーマにした絵本を2017年夏ごろ出版予定。(TM NETWORK 木根尚登さんと共著)
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2017年2月27日)に掲載されたものです。