キャラクターデザイナーってどうやってなるの? 戸越銀次郎・大崎一番太郎の生みの親、犬山秋彦さんに教わる「裏道」の探し方
先輩に聞く
2016/11/07
「ひこにゃん」「ふなっしー」「くまモン」など、全国各地のマスコットキャラクターの人気は衰えることなく続いている。そのキャラクターたちをどんな人が生み出しているのか、知っているだろうか。
戸越銀座商店街(東京)のマスコットキャラクター「戸越銀次郎」や、大崎駅西口商店街(同)のマスコットキャラクター「大崎一番太郎」を生み出したキャラクターデザイナー・犬山秋彦さんに話を聞いた。
キャラクターデザイナーになるには
――地域のマスコットキャラクターは、どのような人が作っているのですか?
自治体が地域PRの一環として作ります。都道府県のような大きいところは、有名なデザイナーにお願いすることが多いですね。一方、商店街などはあまり金銭的な余裕がないため、デザインを公募することもあります。そのため、駆け出しのイラストレーターの方が多いのではないでしょうか。個人の方がキャラクターを作って、自治体からは非公認で活動している場合もあります。
――キャラクターデザイナーは具体的にどのようなことをするのでしょうか?
目的が地域PRなので、その地域の名物や風習などの情報を元にキャラクターの外見や性格、特徴、好きなものなどを考えます。そして、キャラクターのイラストをアングル違いやポーズ違いで数パターン用意。その後商品化されたときには新しいカットを用意したり、僕の場合はキャラクターのツイッターを運用したりしています。
――犬山さんがキャラクターデザイナーになった経緯を教えてください。
自衛隊で働いていたときに、パソコンとイラストレーターを購入して、休みの日を使ってデザインとイラストを独学で勉強したんです。自衛隊の前に働いていたゲーム会社で、企画書をつくるためにイラストレーターを使っていて。円をつなげて雲にしたり、図形をパズルみたいに組み合わたりするのがおもしろいなと記憶に残っていました。
ちょうど世間的にネット環境も整ってきたころで、自分がパソコンを購入したことで、ライターやイラストレーターの人とネット上で仲良くなれたんです。そのツテもあり、自衛隊の任期が終了してから、フリーライター兼イラストレーターとして活動を始めました。
――ユニークな経歴ですね。その後どのようにキャラクターデザイナーにつながったのでしょうか?
最初は雑誌などのライティング仕事をメインに活動していましたが、だんだんと単価が下がってきてしまって。自衛隊時代の貯金も使って暮らしていましたが、このままでは将来が厳しいのかなと思い、一山当ててやろうと。それで作ったのが着ぐるみの「スパンキー」です。
着ぐるみを着て商店街に突撃
――なぜ着ぐるみを作ろうと思ったのですか?
ちょうどそのときキャラクターブームだったんですよ。イラストレーターの森チャックさんがつくった「グル~ミ~」がすごい人気で、僕もそうなりたいなと。あとは、最初から着ぐるみがあれば売り込みをしやすいと思ったので、勢いで作ったところもあります。業者が発注するような会社に個人で申し込んだので驚かれました(笑)。そして完成した着ぐるみを着て、家から近くの戸越銀座商店街に売り込みに行ったんです。
――反応はいかがでしたか?
うけましたね。「変な格好のやつが来た!」と良くも悪くもインパクトがあったみたいで。でも、当時戸越銀座を舞台にしたアニメが商店街を盛り上げていて、マスコットキャラクターは必要なかったので見送りということになりました。その後しばらくはライターや街づくりの仕事を中心に活動していました。
その後、商店街側から「新しくキャラクターを作りたいから意見がほしい」と連絡が来たんです。最初に提案したときは見送りになりましたが、その時の繋がりがあったからこそ話が来たので、突撃してみてよかったです。そこから僕が勉強会に加わって、どんなキャラクターにするか試行錯誤しました。
以前制作した「スパンキー」は、大きいので正面からの風に弱かったり、子どもに怖がられたりと問題点がいくつかありました。なので、改善点を反映して「スパンキー」の弟分として「戸越銀次郎」というマスコットキャラクターを新しく作ったんです。今では戸越銀座のマスコットキャラクターとして老若男女にかわいがってもらっています。
――では、一山当てるのに成功したんですね。
いえいえ、ほとんどボランティアみたいなものですよ(笑)。でも、こういう経験を活かして、ゆるキャラについて説明した『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』(ボイジャー)という本を出版しました。もともとライターとして活動していましたが、キャラクターデザインをしたことで、新たに自分の専門分野が持てたのはよかったなと思っています。
夢を叶える方法
――これからキャラクターデザインをしたいと思っている人は、どのようにしたらいいと思いますか?
僕が歩んだのは「裏道」のようなものだと思います。正攻法でいくなら、専門学校に行ってイラストの勉強をして、イラストレーターになるとか。
あとは、どんな形でもいいので一歩踏み出してしまえば、なんとかなるものですよ。僕の場合は、先に自分でキャラクターを作って、それを売り込みに行ったわけですし。ちなみに「大崎一番太郎」は、「戸越銀次郎」が誕生したあと、戸越銀座商店街と仲が良い大崎の商店街の方に「今度は大崎でキャラクターをつくってほしい」と声を掛けてもらったことで生まれました。
それと、キャラクターのデザインは外見だけではありません。イラスト以外にも自分の得意分野を持っておくと、キャラクターの内面をつくるときに役立ちますよ。
例えば「大崎一番太郎」が歴史好きという一面は、僕が歴史好きという理由からです。それで歴史をモチーフにしたキャラクターにちょっかいを出したり、ツイッターで歴史関連のことをつぶやいたりすると、マスコットキャラクターのファン層とは違う人も大崎一番太郎のことを知ってくれます。どんな職業についても、自分の好きなことや得意なことがある人は強いと思いますよ。
――将来に悩む10代に一言お願いします。
やりたいことがあれば正攻法で攻略する必要はないと思います。正攻法って門が狭くて難しいですよね。でも実は「裏道」ってたくさんあるんですよ。
僕は、作家の寺山修司みたいに舞台の脚本を書いてみたいという思いが学生の頃からずっとありました。結局、劇団に所属したり、何かに応募したりしたことはなかったのですが、今は自分が作ったキャラクターたちが行う舞台の脚本を書いています。学生の頃の自分が知ったらびっくりするでしょうね。
やりたいことを叶えるにはいくつか道があります。正攻法でがんばろうと無理しすぎないでください。「裏道」を探すのもひとつの手です。
気になることにどんどんチャレンジしていったら、結果的に今の自分が望む将来に辿り着くかもしれません。回り道するのも悪いことじゃないですよ。
(松尾奈々絵/ノオト)
取材先
犬山秋彦
1978年東京都生まれ。ライター、デザイナー、キャラクターコンサルタント。自衛隊勤務、テレビゲームのシナリオアシスタント、ディズニーキャストなどを経て現在に至る。戸越銀次郎・大崎一番太郎など「ゆるキャラ」のデザイン、プロデュースを行う傍ら、『週刊戦国武将データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン)、『信長とお江』(徳間書店)など歴史関連の記事・マンガ原作も執筆。著書『ワーキングプア死亡宣告』(共著)、絵本『しんかいくんとうみのおともだち』(イラストを担当)。
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2016年11月7日)に掲載されたものです。