障がいを持つ子どもの進路をどう考える? ジャズユニット「サファリパークDuo」琴音さんが就職するまで
先輩に聞く
2017/05/09
野村琴音(のむら・ことね)さんは、今年の春から地元の企業で働きだした18歳。知的障がいがあり、小・中学校では個別支援学級、高校は特別支援学校高等部に通った。
まわりの人と違う特徴を持つと、一般企業にスムーズに就職が決まることは難しいと思うかもしれない。しかし、琴音さんは「自力で」就職のきっかけを作った。
採用につながる出会いを生んだのは、琴音さんが弟の郷詩(さとし)さんと組んで活動するジャズユニット「サファリパークDuo」だ。結成からすでに7年。地元横浜でのイベントや音楽祭を中心に精力的に演奏活動を行い、これまでに行ったライブの数は、なんと400回にもなる。
担当は琴音さんがトランペット、郷詩さんがピアノ。演奏活動を通じて横浜ビールの太田久士社長と出会い、それをきっかけに就職が決まった。
大好きなトランペットによって自分の未来を切り開いた琴音さんについて、父・おさむさんと母・由美子さんに伺った。
「琴音は1349gの未熟児で生まれました。知的機能や運動機能の発達が遅く、5歳まで歩くことができなかったんです。また特定のシチュエーションになるとまったく話すことができなくなる『場面緘黙症(かんもくしょう)』も患っていました」(おさむさん)
音楽イベントでは大勢のお客さんを前にMCもこなす琴音さんだが、幼稚園から高校3年生になるまで、学校内では一切言葉を発することができなかったという。
「小学校5年生になると金管バンドでトランペットをやりたいと言い出したんです。私と妻はもともと音楽大学を出ており、琴音も赤ん坊のころから常に音楽に囲まれて育ってきました。そういう意味では楽器を始めるのはごく自然な成り行きともいえるのですが、トランペットとは意外でした。私が打楽器奏者だったこともあって自宅には打楽器が沢山あったものですから」(おさむさん)
以前よりアマチュア吹奏楽団の演奏を聞きに頻繁に出かけていたという野村さん一家。何度もコンサートに出かけているうちに琴音さんはあるバンドのトランペット奏者の女性と仲良くなり、いつしか自分でも吹きたいと憧れを抱いていたのだ。しかし同級生と比べてもひときわ体が小さく、手足の力の弱い琴音さんがトランペットを吹くのは簡単なことではなかった。
「トランペットは大きな楽器ではありませんが、それでも1kg以上の重量があるので腕に負担がかかります。当初は少し練習しては休憩の繰り返しでしたね。担任の先生からは無理と言われましたが、私たちはどうしても琴音の意思を尊重したかったんです。あきらめず練習を続けるうちに少しずつできるようになっていきました」(由美子さん)
琴音さんは楽譜を読めないが、小さい頃から音楽を聞いて育ってきたおかげで耳が良く、聞いたフレーズをそのまま暗記することができるという。
「実際にフレーズを吹けるようになるまでにはかなり時間がかかるのですが、できるようになるまでひたすら練習して、一度吹けるようになるとずっと忘れないというのがこの子の強みなんです。音楽に限らず、自分が好きなことはとことん打ち込んで身に着けようとする。その代わり、日常的な動作はすぐに忘れてしまうんですけど……(笑)」(由美子さん)
琴音さんは練習を重ねて少しずつ上達し、翌年には人前で演奏する機会にも恵まれた。
「小学5年生の春からトランペットをはじめ、翌年の2月ですかね。ある音楽祭でお客さんも一緒に演奏するプログラムがあったんです。そこで琴音は初めてステージに上がって演奏したのですが、それを見た郷詩が『僕もやりたい!』と言いまして。じゃあ郷詩はピアノを覚えてデュオとして活動しようということになったんです」(おさむさん)
2010年にデュオを結成してからは地元の横浜を中心に、積極的にライブを行うようになる。まだ演奏そのものはたどたどしかったが、お客さんに喜んでもらえることが嬉しかったと琴音さんははにかんだ。
「リードするのは郷詩の方ですが花形は琴音。バンドマスターと歌手のような関係でしょうか。琴音は調子が良いときも悪いときも演奏スタイルが変わらないのですが、郷詩はそんな彼女の調子を見ながら冷静にコントロールしてあげることができるんです。日々の練習も同様に郷詩が主導してやっていますね。いま現在、レパートリーは33曲ぐらいになりました」(由美子さん)
琴音さんは音楽と共に「人」も大好きだ。家でクラスメート全員の名前を紙に書いていたこともあった。おさむさんと由美子さんはそんな琴音さんを見て、「守られた特別な世界に閉じ込めるのではなく、厳しいかもしれないが一般の社会の中で生きていけるようにしたい」と思ったという。
「小学校では音楽の授業や給食の時間など、通常学級との交流も多かったのですが、中学ではその機会が大きく減ってしまうんです。そこで校長先生に相談し、通常学級と同じ吹奏楽部に入部させてもらうことにしました」(おさむさん)
通っていた中学校の吹奏楽部は同学年の部員が8名と少なかったが、卒業まで一人もやめることがなかった。琴音さんもその中の一人としてしっかり認められ、おさむさん曰く「宝物のような時間」を同級生たちと過ごしたという。
「近年は障がい者支援の制度化が進んでいます。それはもちろん良いことなのですが、却って一般の人々との溝を深くしている側面もあるのではないかと感じています。かつては身近に変わった行動をする子どもがいたら周囲の人々が考えて対応していたと思うのですが、いまは専門家が増えたことで『障がい者のことはプロに任せて』と、他人事になってしまいがちです」(おさむさん)
その後、琴音さんは特別支援学校高等部へと進学。残念ながら高校では吹奏楽をやることはかなわなかったが、サファリパークDuoとしてこれまで以上に多くのライブをこなした。
そして人生の岐路が訪れる。高校卒業後の進路だ。
「特別支援学校卒業者の進路は、正直かなり難しいんです。今年は特例子会社(※)だけではなく、障害者作業所といった場所でも求人が少なく、なかなか合うところが見つかりませんでした。とくに琴音は作業を覚えるのが苦手で、特例子会社でも能力不足と診断されてしまったので」(おさむさん)
※特例子会社
企業が障がい者雇用の促進を図るために設立した子会社のこと。従業員50名以上を擁する企業には一定の割合の障がい者を雇用する義務があるが、障がい者の雇用に特別の配慮をした子会社を設立し、一定の要件を満たした場合には、特例としてその子会社に雇用されている労働者は親会社に雇用されているものとみなされる。
ところが思わぬ縁がきっかけで琴音さんは一般企業への就職が決まる。縁を手繰り寄せたのはほかならぬ琴音さん自身だった。
「ある日、急に出演できなくなったアーティストの代理をしてほしいとオファーがあって演奏をしたんです。その演奏を聞いてくれたお客さんのなかに『横浜ビール』の太田社長がいたことが大きなきっかけになりました。進路がまだ決まっていないならぜひうちで働いて欲しいと言ってくれたんです」(由美子さん)
琴音さんは養護学校の中でも自立度の高い子が通うクラスに在籍していたが、そのなかでも一番日常動作が難しい子だったと由美子さんは語る。しかしそのキャラクターは多くの人に愛され、とても可愛がられていたという。太田社長はそういった琴音さんの人間性、パーソナリティを認めて雇用を決めてくれたのだ。
「大変ありがたいことに、太田社長は琴音がいてくれること自体に価値があると言ってくれました。仲間同士で協力して仕事することや、社会には多様な人々が共存していることを琴音の存在を通じて学ぶ機会になると。普通の人のようにてきぱきと業務をこなせなくても、琴音には琴音にしかできない役割が与えられたことに、僕は障がい者と社会の新しい関係を見たような気がしました」(おさむさん)
いま、琴音さんは横浜ビールが経営するレストランのホール業務を担当するほか、横浜ビールのオリジナルTシャツを着て演奏することで会社のPRも担っている。取材時はまだ入社してからいくらも経っていないタイミングだったが、それでも「楽しい!」と琴音さんは満面の笑顔を浮かべた。
すべては琴音さんがトランペットを吹きたいと言ったあの日から始まったのだ。
「これからものびのび生きられるようにサポートしてあげられればと思ってます。たとえ周囲には難しいと言われても、本人の希望を叶えてあげられる手段を模索しながら、目の前のことをひとつずつクリアしていければと。それはサファリパークDuoの活動も一緒かもしれませんね。『次のライブをきっちりやること』。それが、いつでも私たちの目標なんです」(おさむさん)
(佐藤旅宇+ノオト)
取材協力
サファリパークDuo
トランペット・フリューゲルホルン担当の琴音さん(18歳)と、ピアノ・カズー・ボーカル担当の郷詩さん(13歳)による姉弟ジャズユニット。地元横浜のジャズイベントをはじめ、商店街の祭事や各地の音楽祭などで精力的にライブ活動を行っており、スィングからモダン、ボサノバ、サルサなど多彩なレパートリーで観客を楽しませる。2015年開催の「第4回全国ファミリー音楽コンクールinよっかいち」では、グランプリと文部科学大臣賞を獲得した。
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2017年5月9日)に掲載されたものです。