「大学に行きたい」と言えず就職した――進路が限られているあなたへ(星井七億)

先輩に聞く

2017/09/27

Photo by Greg Rakozy on Unsplash

高校時代、進路に関する三者面談で「大学に行きたい」と口にできず、笑顔で「就職したい」と言ったときの悔しさを今でも強く覚えています。

私は石垣島という日本の南の南、沖縄本島よりも水平線の向こうに見える台湾のほうが近いような場所に生まれ、その日の食事にいつも事欠くほど、経済的にあまり恵まれていない母子家庭で育ちました。

同級生が次々と進学を決めていく中、家の抱えている借金や姉弟の学費など、経済的な事情で卒業後の進路に就職を選んだ私ではありましたが、内心では進学できない悔しさと、進学を決めた同級生達への嫉妬が深く渦巻き、それは若い私の意気や自尊心をきつく縛り付け、呪詛のように苦しめ続けました。

よく「経済的に恵まれてなくて大学へ行けなかった」と言うと、「日本には奨学金がある。それは甘えだ」と安易なことを口にする人もいますが、そういう人は「奨学金をもらっても進学をするためのハードルを乗り越えがたいほどのハンデ」を抱えている層のことを想定できていない人がほとんどです。

人間は配られたカードで勝負するしかない、とはよく言ったものです。大学への進学はずいぶん前から諦めていたものの「私は他の人より選択肢が少ないのだ」ということを自覚して受け入れるのは、無駄にプライドの高い私にとって中々の勇気とダメージが伴うものでした。

そうなると私のように心の屈折率が高い人間は「妥協」や「諦め」に落ち着くための言葉や理由をかき集め、負の感情を胸に潜めながら自分を言いくるめて生きていくことになります。それでもわずかばかりの自尊心と情熱が抵抗を始め、「今の環境でも出来る範囲でやれることを探ってみよう」という模索を続けていくのです。しかし、染み付いた負の感情はそういった希望を手探りするための体力さえ奪っていくことがあります。

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今、自分がその事態を招いたわけでもないのに「限られた進路」に悩み、苦しんでいる学生のみなさんへ。アドバイスはありません。この国は、時代は、私が若かった頃よりもずっと貧しくなっています。一言だけ言っておくと、人間に無限の可能性はありませんし、諦めや妥協に身を埋めて生きることもあります。やりたいことをやる、自分の可能性を試す、居場所を見つける権利は皆にあっても、その機会は平等に与えられたものではありませんし、これから先はもっと酷くなる可能性もありますが、誰かや何かに責任を求めたらどこの馬の骨とも知れない者から殴られてしまったり、求めたところでどうにもならなかったりするのが現状です。「やる気があればどんな困難も乗り越えられる!」という人の言葉は、現実の前では尻拭き紙の代わりにもなりません。

夢や理想を100%叶えられる人のほうが少ないと言えばそれまでですが、今の私はかつての自分がしたかったことをできているかと言われれば二割もできていません。経済的な成功もなく、心はバキバキに折れて歪みきり、性格もよろしくありませんが、前に進むことは諦めていません。これは私にやる気があるからではなく、常に自分が「飢えている」という意識を忘れなかったからです。

人は元気がなくたって、怒りを覚えていたって、幸せに浸っていたって心が「飢えて」います。「私は満たされていない」という意識は、大小の差異はあれど誰しも拭いきれないものです。人はやる気がないときでも、お腹が空けばご飯を探します。そうしないと飢えて死んでしまうからです。「私の心は飢えているのだ」という意識を常に維持することで、心の死を防ぎ、前を向くことを忘れずにいられます。

心が歪んでもいいのです。自分より恵まれた人を妬んでも、社会に唾を吐きたくなっても、どうしようもないことに苛立って叫び散らしたくなってもかまいません。卑怯な手段に走ったっていいでしょう。理不尽や無理解が発達している分だけ、人間はこの世で一番、行儀の悪い生き物です。飢え死にそうなときに行儀にかまける人間はいません。

「たくましい人」や「行儀のいい人」になる必要はありません。美しさは心が満足している人達に任せればよく、勝たなくてもいいし、負けたっていいのです。寝転がったっていいし、やる気なんかなくたっていいし、動機はなんだって構いません。ただただ「飢え」を覚え続け、それを満たすために、どんな手を使ってでも心を生かすことを考えればいいのです。

「与えられなかった・手に入れられなかった・限られてしまったあなた」は誰よりも「飢え」を理解しています。「飢え」を絶やしてはいけません。満足を覚えてはいけません。ただ今は心を生かすために、なんでも食らって生き延びてやりましょう。そうすれば妥協や諦めに身を置いているときでも、わずかな情熱を心に残すことができます。運が良ければ、そこそこの幸せくらいなら手にすることができるかもしれません。

これは悩める人の背中を後押しして解決するメッセージではありませんし、こんなメッセージでどうにかなるなら最初から悩むほどのものでもない、もっと現実的な問題でしょう。ですが、捨て身で前に進むための足を軽くする手助けに少しでもなれば幸いです。

(星井七億)

取材協力

星井七億

85年生まれのブロガー、ライター。2012年にブログ「ナナオクプリーズ」を開設。著書に「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」(鉄人社)。

Twitter:https://twitter.com/nanaoku_h

ブログ:http://7oku.hatenablog.com/

※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2017年9月27日)に掲載されたものです。

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