なぜメガネ屋の店主がエベレスト登頂!?「チャレンジし続けるバカ」星野誠さんインタビュー
先輩に聞く
2017/09/20
メガネの買取や販売をおこなう「誠眼鏡店」。その代表者が星野誠さんだ。
彼は会社経営の傍ら、アイアンマンレースやゴビ砂漠マラソンに出場し完走。2017年5月にはエベレスト登頂にも成功した。
その行動力はどこから生まれてくるのか。星野さんに話を聞いた。
とにかく行動すると、本当にやりたいことが見つかる
――まず、星野さんのお仕事を教えてください。
メガネ店はネットショップと2つの実店舗(新宿店、銀座店)を経営しています。海外にも、香港とインドネシアに会社があります。
――会社経営以外にもいろいろな活動をされていますよね。
トライアスロン、アイアンマンレース、ゴビ砂漠250kmマラソンに出場して完走しています。2008年からは登山も開始して、今年はエベレスト登頂にも成功しました。現時点で世界七大陸最高峰のうち6つまで制覇しています。
――肩書きとしては「実業家、兼冒険家」という感じですか?
その肩書き、型にはまっているような気がして嫌いなんですよ。自分としては、「チャレンジし続けるバカ」が一番しっくりくる(笑)。失敗も数多く繰り返していますが、あまり懲りないタイプなので。
――トライアスロンからエベレスト登頂まで、どんどんスケールが大きくなっていますね。その意欲はどこから生まれるのでしょうか。
大学生の頃に世界中を旅してまわったのですが、それでは刺激が足りなくなってしまったんです。
本当にやりたいことって、動かないと見つからない。「この夕日、美しいな」とか「この草原は素晴らしいな」とか。いろんな場所に行っていろんなことを経験して、「これは好き、これは嫌い」と認識できるんです。リアルに体験したことは忘れないですよね。
他人の目を気にする自分と、理想の自分。そのギャップに戸惑った学生時代
――中高生の頃はどんな子どもでしたか?
中学生の頃から宇宙の起源に興味をもち始めて、雑誌「ニュートン」とかホーキング博士の本を読んでいました。他にも「自分はなぜ生まれたのか」といった思想系の本、ナポレオン・ヒルの成功哲学などを読んで書き写していました。
あとは、将来やりたい「夢リスト」をつけていて、何歳までにこれをやる、と記していました。夢リストは今でもたまに書き換えています。
――内面的にはどうだったでしょうか。
自分が目指す理想像がある一方で、学校生活では他人の目を意識していました。まわりを気にせず生きていきたいという自分と、そうできない自分。それがすごく嫌でしたね。
グループの中で良い立場でいたい、とか「あいつスゲーな」と思われたい、とか。理想と現実の自分が乖離していました。
――勉強は好きでしたか?
成績は良かったですね。でも中学生の時って、勉強ができるよりもサッカーが得意とか、ちょっと悪っぽいほうが地位が高い風潮もあって。自分も悪びれようとするんですけど、「どうせお前は頭良いだろ」と。直接言われはしないけど、そういう雰囲気が嫌でした。それで中3のときに「頭悪くなろう」と心に誓って(笑)。
高校生になったらテストで0点を連発するようになりました。でも今度は「お前バカじゃん」っていうレッテルを貼られて、これはこれで良くないな、と。そこからまた勉強して80点くらい取れるようになった。復活するまで時間がかかりましたけどね。
成績を良くしたいと思ったらそうなるし、悪くなりたいと思ったら現実にそうなる。その経験から、「思ったことは実現するから、ちゃんとしたことを考えていこう」と。そう思ったことは今でも覚えています。
――大学はなぜインド哲学科へ進んだのでしょうか。
魂を磨きたい、動じない男になりたいという思いが昔からあって。在学中にインドへ行って、価値観がガラッと変わりましたね。
バックパッカー(37カ国)の経験も大きなターニングポイントになりました。病気になって死にそうになったり、ダマされたり、物を盗まれたりして。一方で、昼間何もせずニコニコ笑いながらギャンブルしているおじさんがいたり。強烈な刺激を受けました。
――世界をまわって、性格も変わりましたか?
日本に帰ってきたら、「俺は世界を見たぞ」とスノッブになっちゃった。「お前らとは違うんだぜ」みたいな。嫌な奴ですよね(笑)。
インドに行って「他人の目を気にする必要はない」って気づきながらも、また他人の目を気にする自分に戻ってしまう。で、またモンゴルに行って打ちのめされて。その繰り返しでした。
旅に出るといつも、自分に対して「お前はクソだ」とか「他人の目ばっかり気にしやがって」とノートに書いていました。今見返したら、ずっと同じことが書かれている。毎回乗り越えられていないんです。
本気で乗り越えたな、と思えるようになったのは最近かもしれないですね。自分で会社を立ち上げて、決断できるようになったからでしょうか。
大黒屋、ホテル勤務のあと、宇宙へ
――大学卒業後はどのような仕事を?
就職活動をして、受かったのが大黒屋でした。入社してすぐ、新規事業のブランド品部門に配属されて、なんの知識もないまま商品を買い付けていましたね。古物市場(業者オークション)とか、まわりの反応を見ながら手探りで勉強していきました。
しばらく大黒屋で自由気ままにやっていたんですが、夢リストを見返していたら「ホテルを作る」っていうのがあって、「やばい、やってない」と(笑)。仕事に対する不満は無かったんですけど、突然「僕、ホテル作るんで」って言って辞めちゃいました。
――なぜホテルを作ろうと思ったんですか?
バックパッカーの際に泊まったホテルが、すごく心地良い空間に満たされていて感動したんです。穏やかなBGM、美味しい食事、美しい夕日……最高だな、と。「よし、客室3部屋くらいのホテルを作ろう!」と思いました。
で、いきなりグランドハイアットホテルに押しかけて「俺を雇ってくれ」と。もちろん断られましたが、そうこうしているうち、とあるホテルに採用されました。
実際に働いてみたら、めちゃくちゃ辛くて。結婚式の運営、シーツ交換などあらゆる業務をこなして、朝6時から深夜まで働いていました。
そのホテルでは定期的に「目標発表会」がありました。みんな仕事や売り上げ目標を語るんですが、自分は夢リストの中から「宇宙に行く」って宣言して。
――その夢は、子どもの頃からの憧れだったんでしょうか。
それもありますが、バックパッカーの旅でモロッコの砂漠に数日滞在したときの経験が元になっています。夜、テントの外に出ると、誰もいない無音の中に月が浮かんで、時間が止まって吸い込まれてしまうような空間でした。それで「宇宙に行こう」と。
その頃たまたま日経新聞で、「先着5名の無重力体験」という記事を見つけ、すぐに申し込んで体験したんです。次の月、「帝国ホテルに民間宇宙旅行を企画している会社の社長が来る」と聞き、仕事を休んで行きました。
――行動が早いですね。そこで宇宙旅行に申し込みをしたのですか?
はい。「1,000万円で宇宙に行ける」と言われたので、速攻サインして。でもそんなお金あるわけない(笑)。頭金の40万円もないのに、契約だけして帰ってきました。当時、日本で宇宙旅行に申し込んだ人は3人。突然その中の一人になったんです。
その流れで宇宙関連のベンチャー企業が集まるイベントに参加するうち、知り合いが増えていって。宇宙事業の第一人者と繋がるなかで、いつの間にか「銀河ヒッチハイカーズ」という、宇宙旅行を企画する会社の代表になっていました。
――「銀河ヒッチハイカーズ」ではどのような事業をしていたのでしょうか。
実は何も決まってなかったんです。広告代理店に宇宙関連の企画を持ち込んだりしたけど、うまくいかない。先輩や仲間と一緒に行動していましたが、資金がどんどん無くなって全員がバラバラになって。いわば空中分解ですね。
その後「フィールソーグッド」っていう会社を作って、中古車販売とかweb制作とかいろいろやってみたけど、ことごとく赤字。大黒屋時代の後輩と共同経営だったんですが、ほとんど後輩が仕事していて、自分はプラプラしているだけ(笑)。誰かがいると頼ってしまうタイプなんです。結局その会社は後輩に譲りました。
そうこうしているうちに30歳になり、そろそろヤバイなと思って「株式会社誠」を作りました。それが今のメガネ屋です。
やりたいことがあるなら、考える前にやっちゃえばいい
――「新しいことを始めたい」と思っても、多くの人はまわりから止められたり、自分で諦めてしまったりします。星野さんはなぜ実行に移せるのでしょうか?
ストッパーは自分の中にもあるんですが、それを越えていくほうが正しいかなと思っていて。だから
まず、人に言いまくるんです。「俺、エベレスト行くから」って。
歌手になりたい人は「ボーカルレッスンを習わなきゃ」とか、お店を作りたい人は「ビジネスの学校に通わなきゃ」とか考える。それも否定はしないけど、やりたいと思えば先にやっちゃえばいいんですよ。いきなり実践だから苦労も多いけど、やっていくうちに分かってくることもいっぱいあるはずです。
――夢や目標はどのように設定していますか?
最初に「エベレスト登頂」という目標を立てないと、絶対に登れない。「人生で一度は登ってみたいけど、僕にはまだ実力がないから」とか、「まずは日本の山から……」という人が大半でしょう? 本気でエベレストを目標にしている人とは、道のりが全く違いますよね。
年齢が若いほど、上の人たちが可愛がってくれます。「エベレストに登りたい」って言ったら、ほとんどの人は「お前が行けるわけない」と言う。でも、本当に実績のある人は「じゃあ、行こうか」と応援してくれる。導いてくれる人が必ず見つかるはずです。
――進路や生き方に悩んでいる人にメッセージをお願いします。
今も迷いはあるので、そういう意味では僕も多くの中高生と同じです。迷いがないっていうのは、硬直しているということ。迷いながらトライしつづける、それがいいと思います。なんとなく「何かを成し遂げた人は迷わない」というイメージがあるかもしれません。でも、そんなことはない。
無謀だと言われるかもしれないけど、先にやってしまえばいいんです。「これをやりたい、でも俺には無理だ」なんて考えていると、あっという間に時間がなくなってしまう。それってもったいないな、と思いますね。
取材協力
星野誠
1978年、神奈川県生まれ。2001年、株式会社大黒屋に入社し「ブランド館」の立ち上げに携わる。2005年「銀河ヒッチハイカーズ」設立、代表取締役に就任。2008年、30歳で「株式会社誠」を設立。2009年に結婚、3児の父でもある。2010年からトライアスロンをスタート。2013年にはゴビ砂漠250kmマラソンに出場し完走。セブンサミット(七大陸最高峰)登頂を目指しており、すでに6つを制覇。2017年5月にはエベレスト登頂に成功した。
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2017年9月20日)に掲載されたものです。