学びながら技術を身に着け、家具職人の道へーー岐阜県・高山市の「飛騨職人学舎」見学記

先輩に聞く

2018/09/11

日々新しい技術が登場し、目まぐるしく変化するこの時代。最先端を追う仕事もあるが、自分にはじっくりと取り組む職業の方があっているのかもしれない……。そんなふうに感じたことはないだろうか。

伝統的な技術を継承し、高度なものづくりを追求する職人は、まさにそんなイメージにぴったりだ。しかし、具体的にどうすれば職人の道に進めるのか、そのきっかけはなかなか想像しづらい。高校や専門学校に行かず、普通科を卒業した人ならなおさらだろう。自力で師匠や親方を見つけ、「弟子にしてください!」と押しかけるのもハードルが高すぎる。

そんな状況でなかなか第一歩を踏み出せない人のために、今回は岐阜県高山市の家具メーカー・飛騨産業が運営する「飛騨職人学舎」をご紹介したい。ここなら学校卒業後でも、生活費を得ながら職人としての高度な技術をつけられるのだ。さっそく現地からリポートしてみよう。

まもなく創業100年、”飛騨の匠”と呼ばれる「飛騨産業」

飛騨産業の創業は1920年。まもなく100周年を迎える同社は、これまでずっと変わらず「脚もの」と呼ばれる椅子やテーブルの家具製作を得意としてきた。1969年に誕生した家具「穂高」シリーズ(写真下)は、雑誌「暮しの手帖」の創刊編集長・花森安治氏も愛用するロングセラー商品だ。

家具の製作は完全受注生産方式。そのため、お客さまからのオーダー内容に合わせた家具を1つずつ高山市の工場でつくっている。イタリアの国際家具見本市「ミラノサローネ」にも出品し、国内のみならずアジアやヨーロッパからの問い合わせも少なくない。

“飛騨の匠”の名にふさわしい技術は、現代にも受け継がれている。その中でも、木材を高熱の蒸気で蒸してから曲げる「曲木(まげき)」は、丈夫な家具作りにも欠かせない特別な技術だ。曲木を使った家具作りは、大きな木材から曲がった材料を削り出したり、木材を組み合わせたりするのに比べ、木屑が出ず、強度も高い。

飛騨産業の従業員は、若手からベテランまで合わせて450人。職人やビジネス職も含め、毎年20人ほどを新卒採用している。その人材を社内で育てるため、同社は家具職人を育成するための学校を社内で運営している。それが、「飛騨職人学舎」である。

職人になるための学校「飛騨職人学舎」

飛騨職人学舎は、2014年から飛騨産業が運営する全寮制の家具職人養成学校だ。2年間は、寮生活で学生同士が寝食を共にし、ともに家具職人としてさまざまな技術を身につけていく。

学費は不要。逆に在籍中は飛騨産業から、返済不要の奨学金として毎月8万円が支給され、学生はそこから寮費や食費、道具代をまかなうことができる。一方、携帯電話の使用や飲酒、恋愛禁止という厳しいルールが課せられる。

このルールを受け入れるかどうかは各人の判断によるだろう。ただ、この2年間だけは他のことを何も気にせず、職人技術の習得だけに集中できるのは間違いない。

飛騨産業は2011年、市街地にあった本社を廃校になった専門学校跡に移転した。入学の応募は高校卒業以降から可能で、現在は高校や専門学校、大学卒業時点が多いという。

入学に際しても形式張った試験はなく、相性を見て受け入れている。地元では、高校卒業後の進路として、少しずつ認知が進んでいるようだ。またすでに同社で働く社員が、修業をしなおしたい場合もあるという。

卒業後の進路はどうか。学舎で2年間学んだ後は、飛騨産業に2年間「お礼奉公」の形で社員として働く約束となっているが、合計4年を終えれば進路を自由に決められる。

この取り組みは、いったいどのような背景で始まったのか。広報を担当する森野敦さんは、職人を取り巻く状況をこのように語る。

「高山は高校を卒業した後に、地元を出てしまう若者が多い地域です。学校を始めた2014年ごろは、若い職人の後継者がなかなか集まらないという深刻な問題を抱えていました。

1300年続く“飛騨の匠”の技術や心のあり方を含め、次の世代に伝えていきたい。その手段を探していた時に、横浜にある秋山木工さんが住み込みの丁稚奉公制度に取り組んでいるのを知ったんです。この相性の良さを感じて、我々の会社にも取り入れることになりました」

職人になるために最適な環境を提供する

現在、職人学舎に所属する学生は7人。そのうち4人が、2018年春に入学した1年生で、全体の男女比もだいたい同程度になる。また、入学の時点で、職人になりたいというモチベーションをしっかりと持っているという。

学生を指導するのは、同社で働く職人やすでに退職したOBの計4名。学生たちは毎年、技能五輪全国大会に岐阜県代表として出場し、上位入賞を果たしている。身に付く高い技術力は折り紙つきだ。自分の手を使った手加工技術から機械を使った加工方法へ。時間をかけて、より高度な技術を学んでいく。

2年間を通して自分で扱う道具を作り、課題として出題される家具をそれぞれが作っていく。廊下には、学生がつくった家具がずらりと並んでいる。

手加工を学び終える1年目の仕上げは、作りたい家具の考案と設計だ。約1カ月かけて家族の希望や課題を踏まえた家具を製作し、毎年3月に開かれる発表会で家族に披露する。

職人としての心構えを学ぶための寮生活のルール

学生たちが暮らす寮は、工場から徒歩10分にある。この寮生活は、「職人として重要なチームワークや上下関係を学ぶために、集団生活をした方がいい」という考えに基づいている。

朝5時半に起床。その後、ジョギング、朝ごはん作り、そして部屋を掃除する。7時20分には工場へと向かう。

家事は当番制で、寮の畑で育てた野菜を収穫して食べることもある。寮の中で一緒に過ごす1年早く入学した先輩は、後輩の面倒を見たり悩みを聞いたりする役割を担う。

ケータイを持つことを禁止されているので、お盆と正月の休み以外は家族とも連絡が取れない。その代わりに、その日に習ったことをまとめる日記をスケッチブックにつける。OBや先生がそこにコメントを書きこみ、1冊書き終えると実家に郵送する。スケッチブックが連絡手段の代わりだ。

「スマホを持っていると気が散るじゃないですか。たとえ短い期間であっても、とにかく目の前の技術だけに集中して、鍛えていくのが大切なんです。職人として修行をしていく中で、何か我慢しないといけないことが必ずありますから」(森野さん)

ここでの暮らしや学びをどう感じているのか。職人学舎に在籍する2人に聞いてみた。

里村俊紀さんは、大学で機械工学を学ぶうちに木工に興味をもち、職人学舎を見つけたという。1年目最後の自由課題では、桜の木を使った伸長式のテーブルを実家用に作った。

「大学時代にセンサーについて学んだ時、僕自身はセンサーを作るよりも自分の手や目の感覚を大切にしたいと考えるようになったんです。それを生かせる職業を考えたところ、家具職人の道を選びました。先生や先輩からアドバイスしてもらえることが本当に多く、助かっています。

ケータイ禁止が厳しいと周りに言われることはありますが、学舎で一度集中すると案外必要ないと感じます。むしろ、大学時代はスマホに時間を取られていたので、もったいなかったなと思うくらいです」

1年目の最後の課題でたんすを製作した山高晴紀さんは、専門学校を経て社会人を経験している。その後、やはり家具職人になりたいと考え、飛騨職人学舎に出合ったそうだ。

「入学してからは、あっという間に時間が経っています。学ぶことが多すぎて、寮ではほとんど食事を食べて、寝るだけですね(笑)。それくらい集中して、ここでの活動に取り組めています」

一生懸命に学ぶ生徒の存在は、社員の刺激にもなる

職人として、きっちりと仕事をこなしていくための「当たり前」を身につける寮生活。「実際に、学舎を卒業した子たちの礼儀正しさや勤勉さは、他の職人と一緒に仕事をするなかでも評価されることもありますね」と、森野さんはほほ笑んだ。

職人の修行をするうちに、腕前だけではなく人間的な成長を遂げる学生も多い。学舎で真摯に技術を学ぶ姿は、飛騨産業の他の社員にも大きな刺激になっているという。

職人という仕事を選ぶことは、楽な道ではない。しかし、決して選ぶことができない道ではない。もしも職人という生き方に真剣に向き合う気持ちがあるならば、ぜひ問い合わせてみてはどうだろうか。

(取材・執筆:鬼頭佳代/ノオト)

取材先

飛騨産業

岐阜県高山市で1920年に創業された家具メーカー。お客さまからのオーダー内容に合わせた家具を1つずつ完全受注生産形式で製作。

https://hidasangyo.com/

※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2018年9月11日)に掲載されたものです。

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