ダメなのは「自分」じゃなくて「考え方」――他人が怖かったライターが多様な選択肢を伝える理由

先輩に聞く

2019/10/26

「自分はなんてダメな奴なんだろう……」

高校生のころ、こんな言葉をよく口にしていた。当時の僕は勉強であれ、部活動であれ、人間関係であれ、何であれ上手くいかないことがある度すぐに自分を責めていた。

いわゆる「スクールカースト」は下位。何か悪いことをしたわけでもないのに、同級生や後輩から蔑むような目で見られることは多々あり、劣等感をつのらせる高校生活を送っていた。高校を卒業する頃には他人への恐怖心が強くなり、まともに人付き合いができなくなっていた。

そんな高校生活から約8年が経った。現在の僕は、お金持ちでも、会社のエースでも、モテる男でもなんでもない。でも昔に比べれば、いくぶんか人付き合いは上手くなったし、明確な目標を持ってライターの仕事に取り組めている。いや、なんなら結構幸せな生活を送れている方だと思う。

では、どうして強い劣等感を抱えていた自分が、前向きに生きられるようになったのか。それは、ダメなのは「自分自身」じゃなくて「考え方」だと気づけたからだと思う。

すぐに自分を責めていたのは、「認知の歪み」があったから

僕がこれに気づいたのは、大学1年生のころ。大学の友人やアルバイトの先輩と話している中で、「野阪くんは全然ダメじゃないし、自分が思っている以上にいろんなことをできているよ」と言われてきたことがきっかけだ。

最初は「いや、そんなことはない」と否定的に捉えていた。しかし、こうした言葉を何度も聞いているうちに、「自分は本当にダメな奴なのか?」という気持ちが湧き始めた。次第にできることもできないことも認めて、ひとつずつできることを増やしていこうと考えるようになっていった。

もちろん、他人への恐怖心をすぐに克服できたわけではなく、一般的な大学生と比べてできないことも多かったと思う。それから2年ほどはリハビリのような期間で、いろんなことにチャレンジしながら、少しずつ自信を取り戻していった。

ちなみにこの経験から生まれたのが、以下の記事である。

▼10代の時、よく悩んでいたのはなぜ? 認知行動療法の第一人者・大野裕先生に聞く、問題に対処できる考え方

ストレスを感じると僕たちは悲観的な考えに陥り、冷静に物事に対処できない状態をつくり出してしまうことがある。そうした悲観的な考え方(偏った認知)から自由になり、冷静に現実に目を向け、問題に対処する力を育てていく心理療法が「認知行動療法」である。

この認知行動療法の観点から、高校生の自分を振り返ってみると、「認知の歪み」を持っていたと分かった。

たとえば、廊下で後輩とすれ違ったときに、挨拶を返してくれないことがあった。当時は「自分は嫌われているに違いない」とすぐに思い込んでいた。しかし、冷静に考えると後輩はたまたま考え事をしていて、僕に気が付かなかっただけかもしれない。

認知行動療法では、こういった証拠が無いまま思いつきを信じることを「根拠のない決めつけ」と呼ぶ。

ほかにも、よい情報を無視して、悪い情報ばかりに注目する「部分的焦点づけ」やその時の自分の感情に基づいて、現実を判断する「情緒的な理由づけ」などが陥りやすい認知の歪みだ。

テストで平均点以上をとってもその点数にショックを受けたり、自分をダメだと感じていたりしたのは、認知の歪みによるものだったと今ははっきり自覚できる。
 

画一的な教育の中で、自分の個性を押し殺してしまう

なぜ自分はこのような考え方を持つようになったのか。真っ先に思い浮かんだのが、これまで家庭や学校で受けてきた教育だった。

僕は小学5年生くらいから、周囲の人との温度差を感じ始めていた。自分の意見を話すと賛同してくれる友人や大人は少なく、なんとなく生きづらさを感じていた。それは歳を重ねるごとに明確になり、次第に自分の気持ちよりも周囲の意見を優先させるようになっていった。

よく言われることだが、日本では「右向け右」の画一的な教育が主流で、一人ひとりのもつ多様な個性を尊重しづらい「空気」がある。その結果、いじめられる人や、無意識に使われた言葉に傷つく人も出てしまう。

さらによくなかったのが、自分自身の個性を押し殺してしまったことだ。嫌われないように周囲の顔色を伺いながら接していても、自分が何をしたいかを言えない。自分のことがどんどん分からなくなっていった。その結果、相手との関係がぎこちなくなって、コミュニケーションを取ることへの不安や恐怖が大きくなっていった。

当時の自分の置かれていた状況を省みると、仕方のないことだったと思う。ただ、事実として僕は自分の個性を大切にできていなかった。これこそが僕が悲観的な考えに陥り、他人への恐怖心をつのらせていった原因の一つだ。 

個性を大切にするために、多様な選択肢を伝える

では、自分と他人、それぞれの個性を大切にするためには、どうすればいいのだろうか。

さまざまな方法があるなかで、僕が選んだのは「多様な選択肢を伝えること」だ。いろんな思想や文化、価値観、生き方、手段、環境があることを伝える。そうしたら、それぞれが自分に合った選択ができるようになり、他人の選択も尊重できる風土が生まれるはず。

そこで僕はいま、「個の夢が否定されず、それぞれの人が自分らしく生きられる世界をつくりたい」という想いで、多様な生き方を伝えるWebメディア「クリスクぷらす」に携わっている。

僕がこれまで取材してきたテーマはすべて、高校生の自分や周囲の大人に伝えたかったことだ。自己肯定感が低かった、コミュ障に苦しんでいた、無意識に人を傷つけていた、自分の気持ちを上手く伝えられなかった……。一つひとつの記事が、そんな悩みを抱える「かつての自分たち」へのメッセージになっている。

これらを通して、ちょっとでも人生を前向きに考えてくれるきっかけを作れたり、「子どもとしっかり向き合ってみよう」と思える大人が増えたりしたらうれしい。そうして、お互いに個性を尊重し合い、自分らしく生きられる世界になっていけば、これ以上のことはないなぁと思う。

(執筆:野阪拓海/ノオト  編集:鬼頭佳代/ノオト)

<筆者>

1994年生まれ、大阪出身。大学在学中にキャンプスタッフのボランティア、営業アルバイト、長期インターンシップ、Webメディアの立ち上げ、大学のサイト製作・入試制度への提言、デンマーク留学などを経験。2018年4月に有限会社ノオト(編集プロダクション)入社。「個の夢が否定されず、自分らしく生きられる世界をつくる」という目標を掲げ、教育や生き方、文化、多様性などの分野を中心に執筆している。最近、コーヒーとアニメにハマっている。

※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2019年10月26日)に掲載されたものです。

この記事をシェアする