「クラスでひとりでいるのはダメだと思っていた」 コラムニスト・朝井麻由美さんが「ひとりが好き」と言えるまで
先輩に聞く
2020/04/15
「ひとりぼっちは良くないこと」、「みんな仲良く」など、同調圧力を感じやすい学校生活。
「無理に周りと合わせる必要はない」と頭では分かっていても、浮いていると言われる恐怖や、楽しそうなグループへのあこがれを捨てきれなかったり。現在、自宅で過ごしている人の中には、そうした学校生活から距離を置けて、ほっとしている人もいるかもしれません。
「ソロ活(ひとりを楽しむこと)の達人」とも評されるコラムニストの朝井麻由美さんも、そんな1人。中高生のころは、クラスメートとの間に温度差を感じつつも、我慢して集団行動をしていたそう。
「ひとり」とうまく向き合うヒントを探るべく、朝井さんが当時の学校生活の中で感じていたこと、現在に至るまでの葛藤を伺います。
好きなものを「好き」と言えなかった学生時代
――朝井さんは子どもの頃から集団行動が苦手だったそうですが、周囲との温度差を感じ始めたのはいつ頃でしょうか?
ひとりっ子だったこともあり、昔からひとり遊びは好きでした。保育園児の頃から、端にいることが多かった記憶がぼんやりとありますが、明確に温度差を意識しはじめたのは、小学校低学年の時です。
いつも同じ人と一緒に過ごすことに飽きてしまうんです。それに、思ったことを素直に言ってしまう性格だったせいで、仲間はずれにされることがあって。小さい頃は特に分別がなく、「これは言わないほうがいい」という判断もうまくできなかったですね。
それで、「自分はうまく馴染めていないな」「同じことができないと、変な空気になるな」と自覚し、自分なりにがんばって周囲に合わせるようになりました。
――低学年の頃から、場の空気を読んでいたわけですね。
そう……なんですかね。「空気を読む」こと自体はあまり好きじゃないのですが、「ヤバそうな空気」はわりと過敏にわかるほうなのかもしれません。
馴染めない感覚はありつつも、なんとか「それっぽい振る舞い」をして取り繕って。クラスの端っこで、とにかくマイナス点を稼がないように気を付けて生きていました。本来のありたい自分を押し込めているのは辛かったですけど。
――私も似たような経験があるのですが、ありたい自分を押し込めていると、自分の感覚がどんどん薄れていきませんか?
まさしくその通りです。周りになんとなく合わせて、好きなものを隠してきた結果、自分が何を好きなのかすら分からなくなりました。
たとえば、私の趣味はゲームなんですけど、社会人になってしばらくたつまでは、「ゲームが好き」って胸を張って言えなくて。私が中高生だった当時は、女性は特にゲーム好きであることを隠すような時代でしたし、周囲にもゲーム好きな子がいなかったんです。もしかしたら隠していただけかもしれませんが。いまみたいにSNSで同じ趣味の人を見つけて交流することもできませんでした。ネット黎明期だったので、そういうのができるのは機械に強い一部の人くらいで。
それで、友達と話を合わせるために、ファッション誌を読み、学校では興味のないブランドの服を好きと言っていました。
――好きなものを「好き」と言えなかった、と。
そうですね。特に中高生って繊細な時期なので、一度クラスで失敗したら、そこから毎日地獄じゃないですか。だから、とにかく悪目立ちしないようにと思って過ごしていました。
ひとりって自由で楽しいし、決して悪いことじゃない
――高校生までは我慢して周囲に合わせてきたわけですが、大学進学後はその状況は変わりましたか?
はい、大学では集団で行動する機会が減り、かなり解放されました。
とはいえ、入学したての頃は、ひとりでラーメン屋や焼き肉店に行けませんでしたね。ほかのお客さんや店員さんの目が気になりましたし、「女子がひとりで行くのは変じゃないか」と思っていたので。すごく視野の狭い考え方で、今となっては自分が恥ずかしいのですが……。
そんな中、あるクラスメイトが「私、ラーメン食べたいと思ったら、サクッとひとりで行けちゃう」と言っていて。その一言で、「勝手に人の目を気にして、行動を制限してきたのは自分自身なんじゃないか」と気づいたんです。それからは、周りの目を気にせず、ひとりでいろんなところに行けるようになりました。
――そこから「ソロ活の達人」と呼ばれるまでにどんな経緯があったのでしょうか?
大学を卒業して、出版社に勤めた後、すぐにフリーランスのライターになりました。それで2014年ごろ、あるWebメディアから「ソロ活のコラムを連載しないか」とお声がけいただいたんです。
自分の学校生活を思い出したり、「ひとり」についての捉え方を考察したりしながら執筆を進めていくうちに、自分はひとりが好きな人間なんだと気づき、どんどんのめり込んでいきました。
――連載を続けていく中で、「ひとり」に対するイメージに変化はありましたか?
中高生の時とソロ活の記事を書き始めた時、そして現在ではそれぞれイメージが異なりますね。
中高生の時は、「ひとりでいるのはいけないこと」と本気で思っていました。クラスの中でみんなが集まる人気者が価値の高い人で、ぽつんとひとりでいる人が価値の低い人と捉えていて。
ソロ活の記事を書き始めたころは、単純に「私はぼっちで、みじめである」という方向で自虐をしたほうが読者は面白がってくれるはずだと思い、自虐的な書き方をよくしていましたね。「ひとりが好き」という気持ちも確かにあったはずなのに、そちらにはあまり向き合ってはいませんでした。「原稿としてどう見せるか」が先行して、自分でも自分の気持ちがよくわかっていなかったというか……。
ただ、連載を続ける中で「自分は、みんなでワイワイできる『陽キャ』や『リア充』になりたいのか」「本当にひとりがみじめで、恥ずかしいことだと思っているのか」と考えてみたんです。すると、本心ではまったくそう思ってないことに気づいて。このまま自虐的な記事を書いていると、嘘になっちゃうなと思ったんです。
そこからいまのように、「ひとりって自由で楽しいし、決して悪いことじゃない」と思えるようになりました。幸い、世の中も「ひとりを自虐するのはやめよう」という流れに変わっていった。そうなると、私も自信を持って「ひとりが好きだ!」と言っていいんだなと思えた。
「コミュニケーションが苦手」と「運動神経が悪い」は変わらない
――ひとりは他人に気をつかわなくて済むので自由な一方で、人とコミュニケーションを取らないことで、不便を感じる面もありませんか?
たくさんの人とコミュニケーションを取ると、有益な情報を得られることもあるので、「お得」だなとは思います。ただ、それは「自分の精神衛生」との天秤かけだなと。
――天秤かけ?
人とのコミュニケーションが苦に感じないならともかく、そうじゃないならば、無理にコミュニケーションを取ると、どうしても気疲れしてしまいます。
気疲れしないラインって、本当に人によってさまざまだと思いますので、そのバランスが大事だなと。
――なるほど。コミュニケーション疲れを感じたくないならば、無理してコミュニケーションを取ろうとする必要はないんですね。
少なくとも、私はそのようにして精神衛生を保っています。結局、無理してもありのままの自分じゃないというか。私自身、中高生のころに無理した結果、自分の好きなものが分からなくなった経験がありますし。だから、もう割り切ろうと思っています。
特にソロ活の連載を始めてからは、「別にひとりって悪いことじゃないな」って思えるようになりました。いまは、「コミュニケーションが苦手」を「運動神経が悪い」くらいに捉えています。これは持って生まれた個性だから、仕方ない。だったら、別のことでがんばろうって。
「ひとり」に葛藤を抱える中高生は、どうすればいい?
――「自分はコミュニケーション疲れをしてしまうから、無理にがんばらないでおこう」と割り切ることは大切だと思います。一方で、特に中高生はその割り切りがなかなかできない人も多いのかな、と。
そうですよね。学校の中が世界のすべてと思い込んでしまいがちですし、そこで受ける他者からの評価にすごく影響を受けるんですよね。
いまはSNSが発達しているので、学校外で共通の趣味を持つ人と交流できて、以前よりも楽なんじゃないかって思っていたんですよ。
でも、ある10代の子に聞いたら、学校ではみんなリア垢【※】を作っていて、フォロワーやいいねの数でクラスのヒエラルキーが可視化されるそうです。その子は、「私は1人が好きだけど、友だちが多い子がうらやましいという気持ちが消えません」と葛藤を抱えていましたね。
【※】現実世界の友人知人との交流用のSNSアカウントのこと。
――そうした中高生は、「ひとり」とどう向き合えばいいのでしょうか?
気休めにしかならないかもしれませんが、まずは学校の中で暗黙のルールとされている「評価軸」を疑ってみてほしいです。
かわいい、スポーツができる、明るくておしゃべり、協調性がある……。学校にはそういう評価軸がありますよね。
でも、卒業して社会に出れば、全く違う評価軸がたくさんあるんです。いま社会で活躍している人って、必ずしも学校でいい思いをしてきた人ばかりではないですし。
――確かに学校で通用しても、仕事には関係がない評価軸もたくさんあるなと思います。
とはいえ、誰かから承認されることで、安心もできるじゃないですか。私自身、いま「ひとりが好き」と言えるのは、ソロ活の記事が多くの人に評価されてきたからです。
別の見方をすると、学校内での評価をあえて諦めて、学校外で承認を得ることも大切だと思います。
いまはSNSを通じて、趣味や好きを共有しやすい時代。自分の興味のあることを積極的に発信してみるといいと思います。
たとえ、あまり理解されなくても、そうして自分の興味を掘り下げることで、自分の心のより所になったり、将来の仕事に役に立ったりすることもありますので。
――最後に、いま「ひとり」について悩んでいる中高生へのメッセージをお願いします。
中学生の時、よく周囲の大人に言われたのが、「高校生の時が一番楽しいよ」という言葉。
でも、いざ高校生になってみると、全然楽しくなくて。私はキラキラしている人たちのようにはなれないのか、これが私の人生のピークなのか……。そんなことを思ったら、とても悲しい気持ちになりました。
だけど、その言葉は、少なくとも私にとっては嘘でした。大学生のほうが楽しかったし、社会人になってからもいろんな楽しいことがあります。だから、いまが楽しくなくても、未来はすごく楽しいという可能性は充分にありますよって、中高生のみなさんにはお伝えしたいですね。
(企画・取材・執筆:野阪拓海/ノオト 編集:鬼頭佳代/ノオト)
取材先
朝井麻由美
ライター・編集者・コラムニスト。執筆テーマはソロ活、人見知り、ひとり旅、食、ゲームなど。著書に『ソロ活女子のススメ』(大和書房)、『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)、『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA/中経出版)。
※本記事はWebメディア「クリスクぷらす」(2020年4月15日)に掲載されたものです。